【浜松市母子の会 西川熊三郎】
戦前の昭和恐慌下における社会問題の対策として、昭和十二年三月に成立し翌年一月に施行された母子保護法があった。働く母親の増加もあって、婦人団体が強く要望したものである。内容は生活・養育・生業・医療(昭和十六年成立の医療保護法に統合)の四つの扶助であるが、戦後の昭和二十一年九月、生活保護法の制定に伴い廃止されている。もっとも、生活保護法はその後も一部改定が重ねられていくが、母子にかかわる諸問題は右の四点が前提となっている。すなわち、生活保護法の基本原則には無差別平等、保護の国家責任などが盛り込まれ、生活・教育・住宅・医療・出産・生業・葬祭という七種類の扶助が特記されている。浜松市では昭和二十四年、戦争未亡人たちがお互いに助け合っていこうと浜松市母子の会を結成、西川熊三郎らの協力を得て事業を進めていった。後に浜松市も様々な援助活動を行った。同二十九年五月二十日の総会では市公会堂に未亡人約五百名が出席し、「母は明るく強く手をつなぎ」「母と子の幸福は世界平和から」のスローガンを掲げ、生き抜くことを誓い(『静岡新聞』昭和二十九年五月二十一日付)、その活動拠点となる浜松市母子の会技能習得所を東田町労働会館隣に建設することになり、昭和三十年四月一日に上棟式を挙行し、六月一日に完成した。