[保健所の栄養指導]

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【栄養指導】
 昭和二十六年五月十六日付の『静岡新聞』の報道によれば、浜松保健所は戦後の国民栄養調査を浜松市追分学区を対象にして取りまとめている。その統計によると食糧事情の好転によって、脚気(かっけ)・口角炎・母乳分泌不良が見られるという。これを贅沢食に起因する栄養失調症と結論付けている。敗戦直後の食糧難や貧困の気配が全く無いかのようである。他方、乳幼児の巡回健康指導の結論では、昭和二十九年三月時点で、離乳期の栄養不良が特に郡部で見られるとし、この原因は育児知識が低く米の偏食にあると警告している。
 市教育委員会では戦後生まれの子どもの人数と体位を調査している。昭和三十年二月の入学前の子どもたちは、隣接町村との合併を受けて人数が約二千名も急増し、同三十二年十月時点では学校給食の普及と精神的にのびのびと育ったことにより、体位は向上したという。戦時中に生まれ昭和二十六年度に小学三年生になった児童の体格は、男子の身長百十九・三センチ、体重二十二・三キロ、胸囲五十九・六センチ、座高六十七・三センチ。女子の身長百十八・五センチ、体重二十一・九キロ、胸囲五十七・六センチ、座高六十六・九センチ。これに対して戦後生まれで昭和三十二年度に小学三年生になった児童では、男子の身長百二十・九センチ、体重二十二・七キロ、胸囲五十九・五センチ、座高六十八・五センチ。女子の身長百十九・五センチ、体重二十二・三キロ、胸囲五十七・六センチ、座高六十七・五センチ。これらのデータから、総合的に体位が向上していることが分かると結論付けている(『静岡新聞』昭和三十二年十月十日付、昭和55年度『浜松市学校保健資料集』「児童、生徒の体格の推移」 浜松市学校保健会編集発行)。
 また、県公衆衛生課では昭和三十四年五月から県民の栄養状態を栄養改善法に基づいて県内五拠点(浜松市・熱海市・吉原市・沼津市・磐田郡浅羽町)において実施し、その結果が八月に公表された。調査地別の公表は無いが、県下の総評としてはビタミン(Cを除く)・カルシウム不足であり、県下栄養状態は日本人基準量を下回るとしている(『静岡新聞』昭和三十四年八月十七日・十九日付)。