【学校給食法】
市教育委員会が戦後生まれの子どもの体位を計測した結果、体位向上には学校給食が果たした意義を強調したことは、先の保健所による栄養指導の項目で見た通りである。その学校給食法は昭和二十九年六月三日に成立して、学校給食は制度的確立をみた。しかしながら、学校給食が浸透する背景には様々な社会的問題が潜行していた。学校給食法の成立までには市内の給食実施校の内にも格差があり、かつ、給食費滞納者が増加していることが顕在化していた。そのことの是正を求めて、『静岡新聞』(昭和二十九年六月二十日付)では給食制度の確立と給食婦の身分保障を求め、令達予算の増額などを要求する小・中学校PTA連絡会の陳情が市長・市議会議長・教育長へなされている。
【学校給食】
昭和二十九年九月九日付記事では給食費滞納者が増加し、同二十八年度では七十万円であるという。「浜松市内の学校給食は小学校卅三校中廿二校、中学校十五校中八校」で実施されており、農村地帯と本年合併した農村部では給食は実施されていない。その給食実施状況では格差があるとし、次のように記している。
A パン、副食物、ミルクの完全給食一週五日、元城小学校など十二校。
B(A同様だが一週四日)追分校など五校。
C(A同様だが一週三日)相生校など二校。
D 副食とミルク(一週二乃至四日)豊西、笠井両校。
副食だけ萩丘校(中学校では自主的に副食だけ給食しているところが七校)。
費用については、「一食大体廿円平均で、A級は月三百五十円、B級二百五十円」であるが、生活保護法の適用を受けている家庭では苦しい金額になっているという。
学校給食法による国庫補助についての記事を抄出すると次の通りである。
従来原麦代半額の国庫補助、ミルク購入代金利子補償という恩典だけであつたが施設運営費は児童数、坪数の算定基準に応じて補助交付申請すれば算定額の二分の一だけ国庫補助されることとなり、法的保証が与えられることとなつた。
なお、これには付帯決議が三点あって、1保護世帯子弟に対する措置、2義務教育者に全部給食する、3脱脂粉乳の国庫補助である。しかしながら、給食の現場である小中学校では、現実に給食費を滞納せざるを得ない家庭を抱える校区ではいかに対応しているのか、給食指導実態研究会における研究発表として、高砂小学校(児童数千六名、職員三十二名、給食婦三名)の例が紹介されている(昭和三十一年十一月二十八日付)。同校では「月間の給食費は二百五十円で大体月廿回の給食」を実施しているが、給食を通じた学習指導と情操教育、すなわち食事が児童の心身の発育に重要にかかわるという観点から、健康の自覚としつけの養成に努めてきた結果、偏食・食べ残し・夜尿症の減少という例証があった。さらに、昭和二十四年に給食専門委員会を設置し、学区内六町内から二名ずつの給食委員を出して給食部を設け、発足時以来月に五万円の滞納金を各家庭の実態に応じた督促をしてきたというのである。
浜松市義務教育施設組合が市内小中学校校舎の整備費用として、二億円の教育債券を発行し、その消化完了が近いと、昭和三十一年二月二日付で報じている。しかし、この起債が実効をみせる以前に緊急を要する問題は、市内小中学校の給食体制の整備である。
給食施設に関していうと、先の調査報告(『静岡新聞』昭和二十八年六月二十九日付、第二章 第五項 「栄養失調の克服」参照)のように、中学校は市内の一部に施設はあるものの、給食状況は副食のみであった。他方、小学校では施設が貧弱不衛生であるという指摘は、義務教育体制下の教育行政費が十分でないこととなる。それを肩代わりして埋めるのがPTAの活躍。例えば、県居小学校では、昭和二十二年放出のララ物資での給食以来、児童の体位向上を目標に「廿五年一月に完全給食」を達成し、さらに、パン配給室・倉庫給食施設の充実に努力してきた。同校(西小学校は同二十年の戦災で廃校。廃墟跡に県居小が移転。西小が故地に復旧するのは同二十八年と『道徳を創造する子どもたち』(同三十八年刊)にある。よってこの給食記事は県居小を指す。)は鴨江観音に隣接している地の利を生かし、春秋彼岸会に父兄が無料奉仕の出店を開き、「廿六年一月に当時にして八十万円の予算で給食室を県下に先駆けて完成した」という(昭和三十二年一月二十六日付)。学校給食十周年記念に際して文部省の表彰を受けたのである。市内の小学校の中には、父兄会の試行錯誤の協議の末に、各戸割当の寄付金募集案が出て、その反対運動が起きた地域もあった(昭和三十四年十二月十六日付)。
他方、児童の体位向上は給食採用の有無によって歴然となるのが、昭和三十三年十月の市営グラウンドでの連合運動会であったという。これを契機に給食実施に踏み切る学校があった(昭和三十四年一月二十七日付)。この時点の普及率は浜松市(三十五校)は七十八パーセントで、A(週五回)二十六校、B(週四回)三校、C(週三回)一校、D(副食のみ)五校、であり、給食費は三百五十円から二百円である。同三十三年のドン底景気による繊維産業の不況から給食費滞納者が九百九十三名に上り、その総額二百万円相当としている。