戦後の教育課程で社会科教育は戦前の修身教育を克服し、社会や人間関係を学ぶことを通して道徳的判断を養うという務めを担った。しかし、小中学校で道徳の時間を特設しようとする動きが昭和三十三年三月の文部省通達によって実現し、浜松市では同年秋から実施されることになった。その一例が給食の現場に導入されることになる。
【家庭教育】
その主旨は自然と人間の触れ合いの場を提供し、児童の健康と地域の食生活を改善させるものである。食事の作法が学校教育で取り上げられる背景には経済構造の変革に伴う家庭生活の変質があり、共稼ぎ家庭でのしつけの不十分さを学校教育が補う図式になっているのである。日本の家庭教育の中核は近世では家督相続における知行安堵の万全を期して、父親が男子に仕込むというのが基本であった。山川菊栄は『武家の女性』で、「男の子には玉を抱かせ。女の子には瓦を抱かせ」と記し、「文武の修業のほかに、日常の礼儀作法、言葉づかい、物事の取りさばき方などについては、女の子よりも、男の子の方がきびしく、父親から注意されたりしつけられたりします」と述べたが、戦後という時代の新しい社会制度や経済構造の中での家庭像が露呈しているのである。
【ユニークな給食 滝沢小学校】
昭和三十四年十一月二十日付の『静岡新聞』では誠にユニークな給食を実施している小学校が紹介されている。それは滝沢小学校である。農村部のこの学校では戦前の昭和十年からみそ汁を提供していたという。戦時中の中断があって、昭和二十二年にはミルク給食、同三十年には週五回の完全給食を実施した。給食費は一日十四円(市内では二十円)である。そのユニークさは滝沢地区が人口千四百二十三人、二百二十九戸で九十%が農家という土地故に、自家生産の野菜を学年別に指定して提供する点にある。そのメリットは農家が負担する現金支出を軽減させ、各農家の食事での栄養バランスを補う給食指導や食事作法、生活指導、体位向上を果たすところに意義があると言える。