【『化粧』 『荒涼』】
菅沼五十一の終戦直後までの経歴と活動については第二章第九節第一項に述べた。ここでは、その後に『招かれるついて見る。彼の詩作は旺盛で、詩集『招かれる化粧』(昭和二十三年)、『荒涼』(同二十四年)を出版。昭和二十七年には、後藤一夫と共著で詩集『餓鬼』を出版する。この集については、後藤の項ですでに詳述した。昭和二十六年、稲勝正弘・河合茂・後藤一夫らと浜松ペンの会を結成、翌年に機関誌『麦』を創刊。これについても既述した。昭和三十二年、北川冬彦の『時間』の同人となる。この間、浜松ユネスコ協力会の中心的メンバーの一人となり、また中部日本詩人連盟の事務局長を務め、『静岡文芸』(静岡県教育委員会発行)の編集委員、詩の選者となるなど多彩な活動を示している。こうして、昭和三十一年三月発刊の『浜松市民文芸』では、後藤一夫・小池鈴江と共に詩部門の選者を務めた。この後も、さらに菅沼の幅広く旺盛な活動は続くこととなる。