牧開治

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 慈光
 
  身のおきどころもない一夜のくるしみが
  ゆめのようにおもわれます
  胸のしこりに
  重たいまぶたのうらに
  ありありと苦闘のあとはしのばれますが
  さんさんとふりそそぐ慈光のなかに
  菊のにおいや虻の羽音といっしょにうもれていますと
  やすらかに身も心もほとほとして
  息絶えるのも気がひけます
  夜はどこか悪魔のけはいがし
  地獄のささやきもきかれますが
  このかくれもない浄土のまんなかにさらされては
  ただもううとうとと
  ねむくなるばかりです
           病に倒れて
 
 
【『雲のつぶて』】
 牧開治の創作活動は、遺稿集 牧開治詩集『雲のつぶて』によってほぼその全容を知ることが出来る。遺稿集は昭和三十五年、彼の一周忌に際して刊行され、平成四年に再刊されている。内容は、第一章「雲のつぶて」・第二章「五月の雨」・第三章「蝶と坊さん」・第四章「ぶんちょう」・第五章「こけしこっくり」の全五章からなり、初めの三章は詩、第四章は俳句、第五章が童謡である。この五つの章は、遺稿として別々にまとめられていたらしく、また、タイトルも本人が付けたものと想像される。集に添えられた略歴によると、彼の創作活動は戦前、浜松師範学校在学中に始まっている。卒業後、海軍入隊を経て昭和十四年に教職に就くが間もなく発病(病名は記されていないが、結核であったと想像される)、翌年退職して闘病生活に入り終戦を迎えたらしい。第一章の「雲のつぶて」は、大部分戦前の浜松師範時代や教師時代の作品を集めたものと見られる。後藤一夫らの『詩火』に掲載されたものもあるが、それは戦前の作品を戦後において同誌に載せたものであろう。彼の詩は、自身の生活や身辺の花や動物、雨や月や星を歌い平明で童謡に通ずるものがある。童心とも言えるみずみずしい感受性がうかがわれ、対象への深い眼差しが感じられる。闘病の詩は哀切である。
 「ぶんちょう」の章には、俳句三百十三句が収められている。秀句が多く含まれ、牧が俳人としても相当のものであったことをうかがわせる。戦後の闘病生活の中で詠まれたものと思われるが、彼の俳句とのかかわりについての詳細は明らかでない。俳句の項ではないが、便宜上ここで三句を紹介しておく。
 
  子らあそぶ花火遠くに大花火
  わが動悸しずかなる日は木枯しも
  胸に骨片のころがる音し冬紅葉
 
 
【「あの子にこの子」】
 第五章には、「こけしこっくり」以下童謡三十編が収められ、中で「あの子にこの子」は、日本子どもを守る会公募童謡一等当選作品で、中田喜直が曲を付けている。
 牧は昭和二十一年八月、後藤一夫を中心に創刊された詩誌『詩火』には初めから参加している。後藤は、牧の遺稿集に「牧 開治とぼく」なる一文を寄せており、中で「ぼくの詩と彼の詩とは異質のものだが、勉強しあった」と書き「彼は最後まで詩火にいたが、感情問題でぼくと離れた」とも書いている。二人の関係は、親密ながら微妙な面もあったようである。牧は四十歳の若さで亡くなったが、その才能の幅は広く豊かで、遺稿集を手掛かりにいま一度顧みられてもよい詩人の一人ではなかろうか。