【『みづうみ』】
原田濱人の戦後の活動の第一歩は、句誌『ひこばえ』の復刊であった。濱人による句誌『みづうみ』の創刊は昭和十四年三月だが、その後戦争により一県一俳誌という統制で、県東部の『すその』との統合を余儀なくされ、『ひこばえ』となり(昭和十六年四月)、これが戦災によって昭和二十年に休刊となっていたのである。しかし、濱人の俳句活動への意欲は衰えることなく、終戦の約一カ月後に、早くも濱人と同志の間に『ひこばえ』復興の機運が起こり、昭和二十一年一月号をもって再出発となったのである。この時、この号はわずか十八頁、表紙も白紙に「ひこばえ」と濱人の筆による誌名が記されているにすぎなかった。しかし、翌二十二年一月号から、誌名が元の「みづうみ」に戻り、同誌は戦後の厳しい経済状況下にあっても着実に誌友を増やし伸びていった。昭和二十三年五月には、『みづうみ』百号記念号を出す。ただ、この間に桑原武夫の俳句第二芸術論の影響などもあって、若い世代から新しい俳句を望む声が上がることもあった。こうして昭和二十五年、創刊十周年を記念する百二十号(一月号)から、鈴木ゆすらが編集に当たることになる。鈴木ゆすらについては第二章第九節第一項で取り上げてあるが、ここでは句誌『みづうみ』とのかかわりについて記しておきたい。藤田黄雲は、この間のいきさつについて『原田濱人俳句とその生涯』において、「恐らく濱人は誌友のさまざまの要求を容れて、改革を図るのに最も応しい(相応しい)人物として、その実行力を買つたものとおもう」と述べている。