佐々木松次郎

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 四十九年の長きにわたって、西遠女子学園の美術教師を務めつつ、日本におけるキリスト教美術はいかにあるべきかを追究し続けた佐々木松次郎について、近藤啓二(キリスト教美術協会会員)は、「わが国風土に根ざした宗教画を確立」したと評している。
 
【宗教画】
 佐々木は、明治三十年(一八九七)浜名郡浜松町元城(現浜松市中区元城町)に生まれ、誕生日にカトリックの洗礼を受ける。静岡県立浜松中学校(現浜松北高)卒業後、岡田三郎助のデッサン塾を経て東京美術学校西洋画科に入学。同校では長原孝太郎・小林万吾・藤島武二らの指導を受ける。一方、在学中帝国劇場背景部に属し、和田英作にも師事。同校を卒業後、大正十二年の関東大震災を機に浜松に帰り、西遠女子学園に勤務。昭和五年、同志と共にカトリック美術協会を結成する(後、昭和四十七年これを発展的に解消し、キリスト教美術協会を結成する)。戦後の活動としては、昭和二十五年(一九五〇)のバチカン主催世界カトリック美術展への出品(「七草の聖母」八十号、「大和路の聖フランシスコ・ザビエル」二十五号)、昭和三十三年のベルギー・ブラッセルカトリック万国博覧会への出品(「聖母子(A)」十二号、「聖母」十二号)などがある。また、浜松市立図書館や松菱百貨店を会場として、しばしば個展を開催した。これは、宗教画を主とし数点の風景画を添えるのが常であった。昭和三十六年には、静岡県教育功労者として県知事から表彰を受けた。昭和四十八年死去。没後の昭和五十年、美しい星の会から『佐々木松次郎作品集』が刊行された。子息の忠夫は同集に添えられた文章の中で、佐々木の作品で所在の明確なものは約二百五十点(宗教画七割強、風景画二割、静物画・肖像画一割弱)と述べている。佐々木の経歴・画業・家系等については、前記忠夫の「佐々木松次郎の画業」(『遠江』第九号所載、昭和六十一年三月発行)に詳しい。

図3-84 「アシジの聖フランシスコ」