清川泰次

857 ~ 858 / 900ページ
【無対象純粋芸術】
 ノンオブジェクティブピュアアート(無対象純粋芸術)の追求に生涯をかけ、広く世界を舞台として活躍し、一世を風靡した観のある芸術家・清川泰次は浜松の出身である。彼の芸術家としての活動は、戦後に始まるが、その旺盛な活動は平成十二年の死の直前まで衰えることがなかった。本書では、その初期(昭和二十~三十四年)についてのみ取り上げる。
 清川は、大正八年生まれ。浜松第一中学校(現浜松北高)を四年で修了、慶應義塾大学経済学部に入学。昭和十九年に同大学卒業。「清川泰次年譜」(『芸術とは何か』)によれば、大学在学中に油絵を始めている。昭和二十二年(二十八歳)、二科展に初入選(以後、毎年二科展への出品が続けられる)。この年早くも、敗戦間もない浜松駅前の画廊・松竹山房において初個展を開き、以後毎年個展を開催(昭和二十三年=静岡田中屋デパート、昭和二十四年~二十六年=銀座資生堂画廊)。昭和二十六年、二科展において二科賞を受賞、六月に渡米し三年間の在米生活となる。その後、ヨーロッパ各国とエジプト・インド・ビルマ・タイ等を回る。帰国後は美術文化協会に所属(昭和三十二年退会)、様々な展覧会に出品し、また、たびたび個展を開いている。この間、昭和三十年『アサヒカメラ』二月号を、パリの藤田嗣治のアトリエで撮影したパリジャンのヌードモデルで飾り、日本初のヌードの表紙として話題となったこと、石井好子との共著『パリの裏街』(美術出版社)、『絵と言葉』(同)を出版したことなどが注目される。
 この後、再渡米・渡仏などを経て清川の旺盛な芸術活動は、さらに国際的なものとなるが、出身地浜松での美術展の審査員を務めるなど、当地とのつながりは深まってゆく。