[浜松合唱連盟の誕生と合唱祭]

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【浜松合唱連盟】
 浜松合唱連盟の歴史については、浜松合唱連盟創立四十周年記念誌『浜松の合唱40年』に詳しい。この資料によれば、連盟は昭和二十八年(一九五三)四月、国鉄グリーンコーラス・メンネルコーラス・ユーカリコーラス・静大工学部合唱団・浜松放送合唱団・浜松混声合唱団等の団体により組織され発足している。初代理事長には、当時遠州病院の耳鼻科の医師であった半田宗一が就任した。記念誌には、当時浜松市社会教育委員長であった村越一哲(脚本家)が一文を寄せていて、連盟が発足した昭和二十八年当時について次のように記している。
 
  松竹映画「君の名は」で岸恵子演ずる氏家真知子が巻いた「真知子巻き」、ミスユニバースの伊東絹子の「八頭身」、トニー谷の「トニーグリッシュ」が爆発的に流行した年です。
  戦後すぐの「カストリ文化」から「本物の文化」に脱皮・移行しつつあった年と言えます。
 
 
【国鉄浜松工場グリーンコーラス】
 また、当時合唱団として最もよく知られていたのは、国鉄浜松工場グリーンコーラス(昭和二十五年発足)であった。職場の広報紙『はままつ』第11号(昭和三十三年九月一日発行)に寄せられた、当時の団長の一文によると、この合唱団は昭和三十年暮れから浜松市立高校の相曽敷子教諭の指導を受けるようになり、長足の進歩を示した。昭和三十一年秋には全日本合唱コンクール県大会で初優勝し、中部大会でも二年連続二位に入賞するなどの成績を残した。
 浜松合唱連盟発足を機に、昭和二十八年六月、第一回合唱祭が開催された。発足して二年目の昭和三十年、前項に述べた浜松市芸術祭が開催される。この時、音楽部門については浜松合唱連盟が市の委嘱を受けて、企画、立案、当日の運営まですべてを担当した。以後連盟の重要な活動となり、昭和五十年の第二十一回芸術祭までこの形がとられる。
 発足した合唱連盟は、新しいグループの参加もあり着実順調な発展を見せた。この間、しばしば中央から指揮者や声楽家を招いての講習会を開くなど、充実した活動を展開した。