[学校のブラスバンド編成]

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【浜商吹奏楽部】
 戦後の浜松地方においては、学校における器楽や吹奏楽の活動が極めて盛んで、小・中・ 高のどの段階においても全国レベルでの輝かしい実績を残している。しかし、本書の扱う時期(昭和二十年八月~三十四年四月)においては、唯一浜松商業高校(以下浜商)において活動らしい活動が見られるのみである。同校では校歌の出来た昭和十一年に、同好会の吹奏楽クラブが発足したという記録があるが、活動の内容については不詳で、空襲により校舎と共に楽器も焼けてしまったと思われる。以下、『浜商の群像』(中日新聞東海本社編集)によって、浜商吹奏楽部の足跡を見ておく。同部が復活したのは昭和二十九年のことである。この年、野球部が春の選抜大会に初出場することになり、OBも加わって浜松駅前で壮行演奏をして喜ばれた。試合の方は初戦で負けたため、余った予算で楽器を買ってもらうことができ、部員も増えた。翌三十年の夏には、浜松市営プールで開かれた全国勤労者水泳大会で入場行進時に演奏する。これは十八人編成による、浜松での学校による吹奏楽団として初の登場となった。三十一年、再び春の選抜大会に出場した野球部の応援で初めて甲子園のスタンドに立った。四十人の大編成になったのは、静岡でオレンジ国体が開かれた翌三十二年のことである。「静商に負けるな」を合言葉に練習に励み、入場行進の演奏に臨んだ。全員地味な学生服スタイルだった。この年の秋、誠心学園の講堂を借りて、浜商吹奏楽部の第一回定期演奏会が開かれ大盛況であった。入場料は五十円、演奏曲目は「ペールギュント組曲」・「星条旗よ永遠なれ」ほか。この定期演奏会は、毎年欠かすことなく、平成の時代まで続けられることとなる。