浜松市が最初に市史編さんを計画したのは、大正元年のことである。その後、様々な紆余曲折があり、『浜松市史』全としてようやく完成をみたのは、大正十五年になってからのことであった。市民が一瞥(べつ)して市の大要を知り得るものを目指して編さんされ、全一冊で本文千四十頁。当時としては、浜松の概要を知る上に便利であった。
【坂本太郎 『浜松市史』】
戦後になって、市史再編の計画が何度か立てられたが実現をみるに至らなかった。ようやく昭和三十年になって、浜松市史編さん事業は具体化されることとなった。まず渥美静一が委嘱を受け、翌三十一年に渥美実が加わった。方針として、史料保存の意味から史料編の刊行を先とすること、その第一冊には主として浜松宿史料を収録することが定められた。顧問として、浜松出身の歴史学者、東京大学教授・東大史料編纂所長坂本太郎博士が迎えられた。坂本は、史料に対して厳密な校訂を加え、昭和三十二年十二月発行の『浜松市史』史料編一に序文を寄せている。その中で「私は長らく浜松を離れているが、遠州灘の海鳴や、三方原の晴嵐や、なつかしい郷土の風物は、深く脳裏に印せられて忘れるよしもない」と述べ、顧問就任に当たっては郷里に対する深い思い入れのあったことが知られる。
史料編全六巻(浜松県の時代まで)の完成は昭和三十八年十二月、通史編(昭和二十年八月十五日まで)全三巻の完成は昭和五十五年三月のことであった。内田旭・小山正・内田六郎・山根七郎治・飯尾哲爾・会田忠・中道朔爾ほかの郷土史家や文化人、また史料提供者や文書解読担当者、執筆者等多くの人々の支援と協力の下に成った大事業であった。