現代編
序
凡 例
第一章 現代総説(下) 一
第二章 高度経済成長と市民の生活
第一節 政治・行政
第一項 産業と教育・福祉の文化都市を目指して 一五
浜松市長選で平山博三が初当選
平山市政の開始と西田助役の就任
工場誘致
新しい道路
教育施設の充実
総合的な福祉政策
第二項 市民本位の政治 一八
町を住みよくする運動
市民相談室と一日市役所
名誉市民の制度
住居表示の実施
『広報はままつ』の充実
第三項 清掃行政の近代化 二四
清掃公社の発足とし尿処理の近代化
ごみ収集方法の切り替えと焼却場
第四項 上下水道の建設と拡充 二六
下水道事業の開始
三方原用水導入による新水道計画
簡易水道の普及
第五項 周辺町村との合併 二八
入野村と積志村の合併
湖東村の合併
篠原村の合併
庄内村の合併
第六項 公害と基地対策 三三
増え始めた公害の苦情
環境衛生分析室の設置
各種公害規制の強化
光化学スモッグの発生とその対策
基地対策事業と航空機事故
第七項 調和ある市街地と緑の郊外 三八
戦災復興事業の完了と浜松新都市建設計画
都市計画法と市街化区域・市街化調整区域
新しい街づくりと用途地域
佐鳴湖東岸土地区画整理事業と佐鳴台の誕生
マンションの建設
駅前整備計画
東海道本線の高架化事業
中心商業地の商業診断
浜松駅前の複合高層施設の建設計画
第八項 豊かな財政と総合計画 四八
高度経済成長期の予算
浜松市開発公社の誕生
総合開発計画の策定
第九項 市議会と市長 五三
市議会の会派と委員会
市議会への請願・陳情・要望
再選が続いた平山市長
公明選挙から明るく正しい選挙へ
第二節 自衛隊・警察・消防・防災・治水
第一項 航空自衛隊浜松基地の発展 五九
術科教育の中核基地
ナイキ教育
救難航空隊の災害派遣
見学者の増加と体験入隊
基地音楽隊・浜松音楽隊から中部航空音楽隊へ
第二項 航空自衛隊浜松北基地の発展 六八
危険地帯の民家移転
ジェット戦闘機の訓練とその成果
ブルーインパルスと東京オリンピック・万博
騒音問題と周辺住民との交流
第三項 時代の要請と警察 七四
大交番制度
機動隊の活動
交通事故の急増と対策
風俗事犯・売春事犯の検挙
警備警察
警衛警備
暴力団の壊滅作戦と解散
全日空機乗っ取り犯の逮捕
第四項 近代的装備の消防 八二
新しい消防署と多くの派出所の設置
化学消防車、はしご付き消防車などの導入
救急業務の近代化
新しい消防庁舎の完成
第五項 防災・治水 八七
猛威を振るった伊勢湾台風
都田川農地防災ダムの建設へ
ポンプ場の設置と湛水防除
天竜川西縁水防組合の解散と浜松市水防団の誕生
第三節 教育
第一項 義務教育と幼稚園 九二
教室不足とマンモス校、新しい学校の設立
木造校舎から鉄筋コンクリートの校舎へ
防音校舎の建設
指導要領の改定と道徳教育、系統学習の強化
体育館とプールの建設
クラブ活動と部活動
運動能力の向上と肥満児教室
学校給食
進学・就職と補習、高校入試
新しい教育機器
幼稚園
第二項 高校教育 一一一
高校生の急増対策と二高校の新設
引佐高校庄内分校から浜松湖東高校へ
新しい高校の誕生と郊外移転
看護婦養成高校の誕生
新時代に対応する高校
高校生の活動
盛んになった部活動
第三項 大学教育 一二七
静岡大学工学部の発展
静岡大学教育学部浜松分校の廃止と教養部の開設
浜松商科短期大学の幼児教育科と付属幼稚園
浜松衛生短期大学の開学
東京学生寮の設置
第四項 心身障害児教育 一三四
盲学校と聾学校
養護学校
特殊学級
第五項 各種学校と専門学校 一三六
職業訓練学校の設置
看護婦養成学校の設置
各種学校の発展
第六項 社会教育 一四三
公民館の設置と利用者の急増
浜松市児童会館の誕生
各種の学級
社会体育
青少年の家と勤労青少年ホーム
青少年の健全育成
第七項 PTA、各種の制度、教職員組合 一五二
PTA活動
学童災害共済制度
宿日直制度の廃止
教職員組合の運動
第四節 宗教・倫理
第一項 都市計画と寺院・墓苑・斎場 一五七
都市計画と寺院
齢松寺の移転
龍禅寺境内の開放
墓苑の創設
新たな火葬場と斎場会館
第二項 仏教寺院の国際交流 一六二
国際交流の試み
第五節 産業・経済
第一項 高度成長と地域経済 一六六
高度成長と地域経済の発展
所得倍増政策と消費の拡大
貿易の自由化とその対策
企業の電子計算機の導入
雇用の拡大と集団就職
集団就職の第一陣、遠州織物工業組合へ
ドルショック・スミソニアン体制と産業界
浜松商工会議所会館の落成
第二項 大型店の出店攻勢と地元商店街 一八〇
スーパーマーケットの増加と大型店の進出
商店街の近代化
東名開通、卸商団地と流通拠点の整備
第三項 三大産業の成長 一八六
積極的な工場誘致と工場の団地化
地域工業の成長と構造変化
輪送機械工業の躍進
繊維産業の動向
大手楽器メーカーの量産化と事業多角化
光産業の発展
機関車・電車の修繕から新幹線車両の検修工場へ
公害の発生と公害防止対策
第四項 農業の近代化 二〇八
三方原用水の完成
農業基本法と農業構造改善事業の推進
天竜川下流用水事業
西遠農業センターと農業の機械化
第五項 漁業の近代化 二一六
庄内干拓の中止
漁協の合併と構造改善
ウナギの養殖
第六節 交通・通信
第一項 国鉄の動き
一 新幹線の誘致と北線実現に向けた交渉 二二〇
新幹線計画のスタート
市の通過コース提案
北線案と南線案
北線案
実現に向けた交渉
国鉄による最終案の提示
二 新幹線の工事と開通 二二五
新幹線工事の開始とその進展
新幹線の試運転と浜松駅の落成
新幹線の開業
三 東海道線高架化の運動と西浜松駅の誕生 二二八
東海道線高架化促進運動
西浜松駅の誕生
四 東海道線の電車化とダイヤ再編 二三〇
列車の電車化とスピードアップ
新幹線の開業と在来線
五 佐久間線の起工 二三三
調査線から建設線へ
工事線への編入と着工
第二項 遠州鉄道 二三四
二俣電車線の輸送量増強
奥山線の一部バス代行と廃止
合理化・近代化と高架化計画
第三項 バスの時代
一 バス輸送 二三七
路線網・車両数・輸送人員等の推移
浜松市営バス
遠州鉄道バス
二 観光バスと東名高速道路開通 二三九
観光バス事業の充実
東名高速道路開通の影響
三 ワンマンバスと不採算路線 二四一
ワンマン化の実施
不採算路線の合理化
四 市営バスの採算悪化と再建策 二四二
経営協議会の発足
協定の見直し
市営バスの採算悪化
遠州鉄道バスの業績推移
五 国鉄バス 二四五
国鉄バスの運行
第四項 タクシー業界の動き 二四六
タクシー需要の増加
経営規模の拡大と合理化
第五項 道路 二四八
道路計画の策定
道路の改良・舗装と国道昇格
東名高速自動車道の建設
国一バイパスの完成
浜名湖周遊道路の建設など
第六項 交通安全への努力 二六二
深刻になった交通死亡事故
路上駐車の禁止区域等設定
横断歩道(歩道橋・地下道)の整備
駐車場の建設
第七項 近代化進む郵便・電話とテレビ局の開局 二六七
電話の普及と即時通話化への対応
ダイヤル即時化の進展
有線放送電話の普及と団地電話の開通
郵便番号導入と東郵便局の誕生
テレビ放送の開始
第七節 社会
第一項 市民生活の向上 二七四
高度経済成長と人口の増加
電化製品・テレビの普及と家事労働の軽減
所得の増加と豊かな消費生活・貯蓄・消費者教育
大規模な団地と分譲マンション
結婚式の簡素化と豪華化のせめぎあい
少年非行の増加と少年保護センター、家庭の日
南米移民の奨励と終わり
第二項 雇用と労働・社会運動 二八三
深刻な労働力の不足
集団就職者の増加と待遇改善
内職・パート労働と炭鉱離職者の受け入れ
勤労青少年のための福利厚生施設
春闘と労働運動の活発化
人権問題と労働運動
警職法・安保闘争と労働条件改善への取り組み
労組の平和運動と地域での運動
第三項 社会福祉の充実 三〇二
経済の高度成長と社会福祉
老人福祉施設の開設
敬老の日と老人クラブ
若年人口の都市部への集中と保育園の増加
各種の障害児者施設の開設
第四項 行事・風俗・観光・娯楽 三〇九
浜松まつりの見直し
舘山寺の観光と新幹線・東名高速道路の開通
伝統行事の変貌
ボウリング場の隆盛
第五項 子供の世界 三一六
テレビの普及と紙芝居の廃絶
子供の遊び場
カギッ子と留守家庭児童会
子供会と児童会館
第八節 医療・厚生
第一項 医療機関の充実 三二一
浜松医界百年のマグマ
献血・預血の血液センター設立
第二項 総合病院の大増築 三二七
昭和三十八年時点の医療環境
労災病院誘致
社会復帰施設の増設
診療所の衰退
第三項 市民医療の革命 三三九
医師会中央病院の設立
県西部浜松医療センターに向かう必然性
県西部浜松医療センターの設立
第四項 浜松市医師会の諸相
一 医師群像 三四六
医師の増加
小児科医の趨勢
第五項 医療行政と看護教育 三五〇
東洋歯科大学設置の反対運動
看護婦養成施設の設立
第九節 文学・文化
第一項 文芸界の動き 三五七
詩誌の消長と詩人たち
歌誌の消長と歌人たち
句誌の消長と俳人たち
川柳誌の創刊
小説分野での動き
文芸雑誌『ゴム』の創刊
吉田知子の芥川賞受賞
村越一哲の劇作活動
第二項 総合雑誌と新聞 三八七
『東海展望』と『浜松百撰』の発展
『浜松文化モニター』の創刊
『東海文化新聞』
第三項 美術 三九〇
内田六郎のガラス絵寄贈
浜松市美術館の開館
水野欣三郎の彫刻
第四項 音楽 三九四
児童会館少年音楽隊の発足
第五項 演劇と映画 三九五
劇団たんぽぽと青少年演劇センター
浜松よい映画をすすめる会の活動
第六項 郷土研究 三九七
方言の研究とその成果
『浜松市史』通史編の刊行
小山正の著作活動
『金原明善』の刊行
『遠州偉人伝』の刊行
第七項 文化一般 四〇七
浜松市指定文化財
浜松市民会館と浜松市児童会館の落成
高柳記念館の誕生
戦災と市民の木
市の木・市の花・市の鳥の制定
浜松JCの文化活動
第三章 産業と文化の調和した都市へ
第一節 政治・行政
第一項 平山市政から栗原市政へ 四一七
栗原市政の誕生
東海道線高架化事業の完工
遠州鉄道線の高架化事業の完工
浜松駅周辺の整備
低成長下の市政と財政
東海地震と防災対策
浜松地域テクノポリスの建設
人口五十万人を達成
第三次浜松市総合計画の策定
第二項 市政と市民生活 四二五
市民運動の推進
中央地区で難航の住居表示
住民票と戸籍謄抄本などの模写電送
市長と語る会
墓園と斎場会館
放置自転車への対応
コミュニティづくり
基地対策事業と航空機事故
不発弾の処理
第三項 深刻化する公害とその対策 四三六
大気汚染
水質汚濁
第四項 下水道事業と清掃事業 四三九
下水道事業
ごみ処理施設の改築と最終処分場の建設
西部衛生工場の建設とその反対運動
東部衛生工場の建て替え
ゴミ10%減量運動
第五項 美しい都市景観の育成 四四四
緑の基本構想、緑化推進センターの開設と緑化事業
松くい虫の被害と対策
都市景観の育成
第六項 国際化とコンベンション 四五〇
浜松国際交流協会
コンベンション都市へ
浜松コングレスパーク構想と浜名湖国際頭脳センター
第七項 新しい街づくり 四五四
高丘葵土地区画整理事業
佐鳴湖西岸土地区画整理事業
その他の土地区画整理事業
戦後復興土地区画整理事業の完工
第二節 自衛隊・警察・消防・防災
第一項 航空自衛隊浜松基地の動き 四五七
衝撃のブルーインパルス墜落
南北基地の統合
浜松救難隊と災害派遣
資料館の開館
ペトリオットの導入と教導高射隊の改編
第二項 新たな事態に対応する警察署 四六三
駐在所と派出所
都市総合交通規制と交通管制業務
暴走族と少年犯罪の増加
悪質商法とその対策
一力一家の組事務所撤去運動
浜松中央警察署の移転と設備の近代化
主な事件と事故
第三項 新装備の導入と消防署、消防団 四七二
はしご車の増車と化学車・工作車
消防署、派出所の増加
婦人防災クラブ、幼年消防クラブの結成
相互応援協定の締結
消防団と方面隊
第四項 東海地震への取り組み 四七九
東海地震の可能性と想定被害
消防署の地震対策
防災思想の普及と自主防災隊
地震防災施設の整備
地震防災の応急対策と救援活動
総合地震防災訓練と地域防災無線システムの開局
第五項 一般災害への対策 四八九
都市型水害の予防と対策
第三節 教育
第一項 義務教育と幼稚園 四九一
ユニークなデザインの校舎
人口のドーナツ化と学校の分離、独立
特色ある研究活動
文集の発行
テレビと新しい教育機器
健康教育と体力づくり
教育問題・事件の発生
小学校の創立百周年記念式典と学校史の刊行
高校進学と進路指導
帰国子女の教育
幼稚園
第二項 高校教育 五〇七
新しい高校の誕生
高校の新しい科とコース
浜松商業高校の選抜優勝と各校の活躍
第三項 大学教育 五一二
静岡大学
医大誘致運動と浜松医科大学の開学
常葉学園浜松大学の開学
静岡県立大学短期大学部の開学
諸大学の動き
第四項 養護教育 五一八
義務化された養護学校と盲・聾教育
特殊学級と交流教育
第五項 各種学校と専修学校、塾等 五二一
専修(専門)学校と各種学校
洋裁学院
看護学校
学園・教室・学院
第六項 社会教育の進展 五二三
公民館の増加と利用者の急増
小中学校の運動場・体育館の開放
クリエート浜松と復興記念館の開館
カルチャーセンター(文化教室)の開設
かわな野外活動センター
多くのスポーツ施設の開設と改修
企業のスポーツ活動
第七項 教育の振興 五三三
西遠総合教育センターの開館
教育文化奨励賞
第四節 宗教・倫理
第一項 宗教教団の新築・増築・再建 五三五
施設の刷新
第二項 教団・宗派の教化活動 五四〇
教化活動の現れ
第三項 宗教と自治会 五五二
国家祭祀の重圧
政教分離の確認
第五節 産業・経済
第一項 低成長下の地域経済 五五五
低成長時代と地域間格差の拡大
変動相場制への移行と経済界
二度の石油危機と省エネ・省資源へ
金融機関店舗数の急増と個人向け商品の開発
プラザ合意の衝撃
消費税導入
金融緩和とバブル経済
駅前再開発と地価の高騰
株式の高騰と財テクブーム
民活導入
第二項 大型店の進出と地域商業の変化 五七一
スーパーの郊外進出と地元商店街との対立
大型小売店舗出店指導要綱と融資制度の導入
郊外型大型店の進出と商調協
中心市街地の地盤沈下と中心商業地活性化事業
大型飲食店の進出
コンビニエンスストアの進出
浜松市中央卸売市場の開設
駅前再開発と大型店のオープン
第三項 地域工業の変容と先端技術化 五八六
中小企業の工場団地と工場アパートの立地
三大産業の変化
地場産業振興センターの設立
企業の海外生産と販売会社設立
輪送機械工業の躍進と汎用製品
エレクトロニクス化が進む木工・工作機械工業
中小楽器メーカーの倒産と大手メーカーの電子楽器・電子機器分野への進出
光産業の発展
帽子からペン先への転換
繊維産業の消長と構造的問題
プラザ合意と繊維産業
ベンチャー企業の出現
浜松地域テクノポリスと企業誘致
第四項 生産調整と都市近郊農業の形成 六一六
三方原地区土地改良事業の完成と都市近郊農業の形成
浜名湖北部用水事業
農協合併の推進
水田利用再編対策事業
団地化する農業
浜松生花市場の開設と花き生産の増大
洋菜の産地化
農業後継者の不足
低コストの畜産経営の実現と問題点
第五項 養殖漁業と環境保全 六三〇
浜名湖漁業とその振興
西部衛生工場と浜名漁業協同組合
ウナギ養殖の浮沈
第六節 交通・通信
第一項 国鉄・JR東海
一 東海道本線の高架化 六三五
高架化工事の開始
高架線の開通
二 新幹線 六四〇
こだまの増発とひかり号の停車
三 国鉄からJR東海へ 六四一
国鉄財政再建
JR東海の発足と浜松駅
四 新駅舎・駅前広場・駅ビルの誕生 六四四
新しい浜松駅の完成
五 二俣線から天竜浜名湖鉄道へ 六四五
国鉄ローカル線の廃止
天竜浜名湖鉄道の誕生
第二項 遠州鉄道 六四六
鉄道線の近代化
十分・十一分・十二分ダイヤと新型車両の導入
合理化と貨物営業の廃止
遠鉄高架化の完成と路線変更
第三項 バスとタクシー 六五〇
減少する輸送人員と合理化
バス優先レーンの実施
駅前バスターミナルの完成
市営バスの赤字と経営健全化計画
市営バスの民営移管と廃止
バスロケシステムと都市新バスシステム
タクシー業界の合理化とサービス多様化
第四項 道路 六五九
西インター開設とその効果
浜名湖大橋完成と村櫛・舘山寺道路の開通
浜名バイパスの開通
遠州大橋の完成
進むバイパスと環状線の建設
道路舗装率百%へ
第五項 交通安全への努力 六六七
交通事故の推移
交通安全施設の整備
第六項 新時代の郵便と電話 六七一
郵便業務の増大と新局舎の建設
電話の普及と新サービスの登場
テレビ局とFMラジオ局の開局
第七節 社会
第一項 石油危機からバブルへ、悲喜こもごもの市民生活 六七五
静岡県西部消費生活センターの開設
石油危機・物不足と「消費は美徳」時代からの決別
一家に一台の乗用車と勤労世帯の中流意識
公害への苦情とその処理
核家族化と少子化の進展
外食産業の隆盛
住宅と住宅団地の新しい動き
分譲マンションの建設と日照権
第二項 低成長期の労働運動と高齢者・婦人の就労 六八四
スト権ストと労働運動の転機
週休二日制の実施
定年制の延長と高齢者
無料職業紹介所
シルバー人材センター
男女雇用機会均等法と女性労働者の待遇改善
第三項 青年の生活の変貌と婦人運動の新展開 六九二
勤労青少年ホームと勤労青少年の生活の変化
青年婦人会館の開館と青年運動
浜松婦人懇話会の活動
浜松婦人のつどいと婦人会、婦人の意識の変化
第四項 社会福祉政策の転機と見直し 七〇〇
福祉の充実とその見直し
コミュニティケアの展開
高齢者への施設ケアの充実
有料老人ホームの開設
郊外での保育園の急増
浜松こども園の活動
浜松市社会福祉会館と浜松市福祉文化会館
障害者の住みよい街づくり
戦災遺族・負傷者の運動
第五項 行事・風俗・観光・娯楽 七一〇
浜松まつりの参加町数の増加と暴力団追放
浜松秋まつりの開始
石油危機後の舘山寺温泉
ボウリングとゴルフ
ゲートボール、スポーツクラブとバッティングセンター
第六項 子供の世界 七一七
学童保育をめぐる市民の運動
浜松科学館の開館
子ども会と浜松市立青
少年の家、かわな野外活動センター
第八節 医療・厚生
第一項 医療機関の充実
一 「長年の石積み」 七二二
一樹百穫
二 救急医療体制の整備 七二三
東名高速道路の救急業務
医療の原点は救急医療
夜間救急室の開設
浜松方式
救命救急センターの開設
医師同乗のヘリ搬送
三 浜松医科大学の創設 七三二
誘致運動
『広報はままつ』の意思表示
大学を持たない地方開業医
四 口腔保健医療センターと母子保健センター 七三八
地域密着の歯科医師
構想結実
口腔保健医療センターの業務
母子保健センター
五 地域歯科医療の実現 七四一
浜松歯科衛生士専門学校の設立
浜松市歯科医師会有志の奉仕活動
第二項 政令市指定後の保健所 七四三
保健所移管と庁舎新設
新庁舎の施設と陣容
保健所の業務
食品衛生
環境衛生
保健相談と検診活動
感染症と予防接種
第三項 現代病とその対策
一 ホスピスの創設 七五二
長谷川保のホスピス構想
延命治療をめぐって
ホスピスの存在意義
二 成人病 七五六
成人病の検診
成人病恐怖時代の到来
子供の成人病検診
肥満は薄命と知るべし
諸機関紙のキャンペーン
成人病は各人が治す
会社の成長は社員の健康から
可美村の取り組み
三 認知症の早期発見のために 七六三
高齢化社会と認知症問題
仮名拾いテスト
介護から予防へ
集団検診の試行
第九節 文学・文化
第一項 文芸界の動き 七六八
詩歌界の動き
『未遂』の創刊
文学散歩と文学碑
市立高校文芸部の活躍
文芸作品の自費出版
第二項 雑誌と新聞 七七八
新しいタウン誌の誕生と『浜松百撰』
社報の消長
中日新聞東海本社の設立
第三項 美術 七八二
平野美術館の開館
全国公募展「浜松わたしのイメージ」と栗原幸彦
街の彫刻
第四項 音楽の街づくり 七八五
浜松市音楽祭・子ども音楽会の開催
地域音楽教室と地区音楽祭
パイプオルガンの設置
浜松交響楽団の誕生
浜松音楽文化連盟の誕生
音楽鑑賞団体の結成
吹奏楽団の活躍
プロムナードコンサートの開催
バークリーサマーセミナー
浜松わたしの歌
草笛コンサート
オペラの上演
県立音楽堂の挫折
和太鼓の団体の活躍
第五項 演劇 八〇二
演観協と高校演劇教室
第六項 郷土研究 八〇六
浜松史蹟調査顕彰会の誕生と郷土誌の刊行
『わが町文化誌』の刊行
神谷昌志の著作活動
ひくまの出版の活動と郷土誌刊行
静岡新聞社の出版活動
第七項 文化一般 八一四
地区図書館の充実と中央図書館の誕生
浜松市博物館の開館
遠州大念仏の文化財指定と犀ヶ崖資料館
アカウミガメの保護運動
賀茂真淵の顕彰と寺田泰政
児童会館の閉館と浜松科学館、天文台の開館
浜松市文化協会の発足
浜松城公園の日本庭園と作左の森
道・坂・橋等の愛称標識
前原銅鐸の発見
浜松文芸館の開館
第四章 国際化の進展と新たな課題
第一節 政治・行政
第一項 二十一世紀に向けて 八三五
アクトシティ浜松
浜松市議会と定数問題
可美村の合併
中核市の指定
第四次浜松市総合計画と行政改革
栗原市政から北脇市政へ
三遠南信地域との様々な交流
市役所の週休二日制
『広報はままつ』のA4判化とカラーページ
市の鳥・ツバメ
個人情報の保護
情報公開制度市民総合窓口センター
技術と文化の世界都市
行政経営計画による一層の行政改革
第二項 市政と市民生活 八五九
新しい市民運動
介護保険制度の開始
住民基本台帳ネットワークシステムの導入
第三項 環境への配慮 八六四
佐鳴湖の浄化
浜名湖の水質浄化
ダイオキシンの規制
環境基本計画の策定
第四項 美しい都市景観の育成 八七二
全国最長のコミュニティ道路
中心市街地の美しい道路と歩道
商店街の美しい街路
電線の地中化
都市の緑化と緑の基本計画
第五項 国際化の流れとその対応 八七八
増えたブラジル人
盛んになった国際交流
第六項 環境衛生と資源の再利用 八八五
下水道と上水道の普及
第七項 新しいまちづくり 八八七
浜松市都市計画マスタープラン
ユニバーサルデザイン
中心市街地の活性化
東地区土地区画整理事業
高丘葵土地区画整理事業
佐鳴湖西岸土地区画整理事業
第八項 平成の大合併と政令指定都市 八九四
平成の大合併
政令指定都市
第二節 自衛隊・警察・消防・防災
第一項 航空自衛隊浜松基地の動き 九〇二
救難隊の活動
AWACSによる警戒航空隊の編成
空中給油機の配備問題
高射教導隊の設置
エア・フェスタ・ハママツと広報館の開設
中部航空音楽隊の活動
第二項 新しい時代と警察署 九一一
増え続ける刑法犯
来日外国人の不法滞在と不法就労
防犯の町づくりと
地域安全推進員
放火事件の増加
外国人犯罪の増加
暴力団対策法の施行
民事介入暴力ヘの取り組み
第三項 新しい時代と消防署 九二四
消防本部庁舎の改築と消防情報システムの設置
救急救命士の誕生と高規格
救急車の導入
第四項 東海地震への取り組み 九二七
東海地震被害想定・予知情報等の見直し
建物の耐震化工事進む
第三節 教育
第一項 幼児・義務教育 九三一
少子化と幼稚園
学校週五日制へ
新しい教育の開始
パソコン教育
学区外就学と小規模特認校
学校規模適正化への取り組み
ブラジル人学校の設立
高校入試制度の変容
中学生の頭髪自由化
様々な活動
第二項 高校教育 九四四
新時代に適応した施設の改善
進む県立高校の特色化
校名変更、男女共学、中高一貫、特色ある高校へ
多彩な活動と大会での活躍、全国総体の開催
第三項 大学教育 九五三
静岡大学工学部の改組、情報学部の新設、四年間の一貫教育
静岡県立大学
短期大学部と静岡文化芸術大学の開学
聖隷クリストファー大学の開学
その他の大学の動き
開かれた大学へ
第四項 心身障害児の教育 九六〇
特殊教育から発達教育へ
盲学校・聾学校・養護学校
第五項 専門学校 九六一
専門学校と各種学校
第六項 生涯学習とスポーツ 九六三
生涯学習総合センターの設置と公民館、放送大学
教育文化会館の開館と余裕教室開放
新しいスポーツ施設
オリンピックと国民体育大会
水泳大会と駅伝大会
企業スポーツの盛衰
第四節 宗教・倫理
第一項 バブル経済期の伽藍構築 九七三
寺院の郊外移転
戦後復興の終盤
経年老朽化寺院の再建
第二項 仏を荘厳する 九七七
多彩な空間的・時間的方法
第三項 仏縁を結ぶ 九八〇
子育て地蔵尊
馬頭観世音菩薩
上求菩提・下化衆生
ラオスへ謄写版寄贈
蒲地区方広寺派寺院の行事今昔
第四項 遺徳敬仰 九八三
長泉寺の四百年遠忌
明善祭
法永寺の百句塚を守る
普済寺の五百五十回忌
第五項 政教分離の原則 九八五
神と人間社会
神事とともに
習俗を生きる
神前奉納
第六項 浜松のキリスト教団の活躍 九九二
救世軍社会鍋の連帯
ダウン症児の将来を考える会
介護福祉士教育
タガログ語・英語によるミサ
『浜松教会百年史』の完成
教会堂にあふれる音楽
第五節 産業・経済
第一項 平成不況下の地域経済 九九八
バブル経済の崩壊と不良債権問題
超低金利政策とその問題点
金融機関の破綻と金融再生法
金融ビッグバンと金融業界の再編
平成不況の長期化と景気回復の遅れ
産業の空洞化と外国人労働者の増加
消費税引き上げとデフレ不況
不況と地域振興券
第二項 空洞化が進む中心商店街 一〇一四
中心市街地からの大型店撤退
西武百貨店の撤退と松菱の破産
中心商店街活性化とザザシティの建設
大店立地法への移行と郊外型大規模店の急増
浜松商圏の縮小
第三項 加工組立工業から先端産業へ 一〇二〇
浜松地域テクノポリスの完成と先端産業
浜名湖国際頭脳センターの設立
平成不況下の地域産業(自動車産業へ特化)
紡績工場、繊維関連工場の閉鎖続く
繊維産業からファッションの街へ、HFCの設立
さらに増加する工業団地
新産業の創出と創業者支援へ
PL法への対処とISOの取得
光産業と光産業創成大学院大学
産業考古学館の構想
産業見本市・ハイテク浜松の開催
各産業の変化と新動向
第四項 農業の自由化・国際化 一〇四五
農業バイオセンターとフルーツパークの開所
とぴあ浜松農業協同組合の誕生
新しい野菜の誕生
農業でのIT活用
WTO、URとMA米の増加
食糧法と新農基法の成立
農業振興基本計画の策定
環境保全型農業
市民農園の開設
第五項 水産物の消長 一〇六〇
減少してきたウナギ養殖
遠州灘のとらふぐ漁
水産試験場浜名湖分場の
新築とウォット
第六節 交通・通信
第一項 JR東海 一〇六四
普通列車の増発
自動改札機の導入
新幹線ひかり号の増停車
第二項 遠州鉄道 一〇六六
鉄道線のスピードアップ
サービスの向上
遠鉄高架化の進展
第三項 バスとタクシー 一〇六八
オムニバスタウン構想の進展
エコドライブ運動の推進
運賃値下げ等に
よる利用者増へ
浜松まちなかループの運行
ラッピングバスの登場
不採算路線の選別と整理
中小貸切バス会社の設立と競争
タクシー業界の近代化と多角化
第四項 道路 一〇七四
第二東名の工事開始
三遠南信自動車道の建設
かささぎ大橋の開通
国一バイパス
主要道路の建設と道路整備
花博に向けた道路整備
狭い道路の拡幅条例
駐車場の整備と表示
第五項 交通安全への努力 一〇八五
死亡事故の増加とその対策
浜松の交通事故対策
第六項 新時代の郵便と電話 一〇八七
郵便業務の合理化
郵便事業と規制緩和
固定電話の減少と携帯電話の普及
多様なメディアの登場
第七節 社会
第一項 バブル崩壊と長い不景気下の生活 一〇九三
平成不況と市民生活
入管法の改正と日系ブラジル人の増加
日系南米人の住生活と地域生活
ホームレスの出現と自立支援活動
分煙と全面禁煙
第二項 雇用と労働・労働運動 一一〇二
遠州地方での労働運動の再編成
労働運動の模索
外国人労働者の労働・労災問題と市民の支援活動
外国人の保険問題
宝石店事件と外国人差別問題
非正規雇用の急拡大とその問題点
第三項 男女共同参画運動の展開 一一一〇
女性運動・男女共同参画運動の新展開
日本女性会議はままつの開催
男女共同参画を実生活で実践する試み
第四項 社会福祉の充実 一一一六
福祉と地域社会の多様性
市民参画による福祉活動
措置から契約への社会福祉制度の大改革
介護保険制度の導入
老人福祉センターの充実
介護保険で利用できる居宅介護サービス
介護保険で利用できる施設サービス
保育園の増設
浜松市発達医療総合福祉センターの開設
遠州精神
保健福祉をすすめる市民の会
第五項 行事・風俗・観光・娯楽 一一三〇
浜松まつりの参加町数の増加と観客数の減少
浜松まつりへの高校生の正式参加
浜松まつりへの女性・障害者の参加
浜松まつりと暴力団排除の新規約
浜名湖パルパルのリニューアルと観光地の新たな取り組み
フルーツパークのオープン
新銭湯のオープンとスポーツクラブ
第六項 子供の世界 一一三九
放課後児童会(学童保育)の急増
なかよし館・浜松こども館の開設
ファミリー・サポート・センターの開設
児童虐待の増加
子供の遊び
登校拒否・不登校の増大
ふれあい教室
西部中学校のふれあいルーム
フリースクールによる不登校への挑戦
第八節 医療・厚生
第一項 医療機関の充実
一 ドクターヘリの活躍 一一四八
ドクターヘリ公式運航に向けて
浜松救急医学研究会
ドクターヘリ導入促進事業
ドクターヘリ出動要請千回
地域による命の格差
ドクターヘリ導入の促進
ドクターヘリの金字塔
二 浜松市リハビリテーション病院の開設 一一五六
陸軍病院から国立病院へ
統廃合か経営移譲か
再編の主体
浜松市移譲
経営移譲後の苦境
聖隷福祉事業団の運営
三 病診連携 一一五九
病診連携
四 医薬分業の進展 一一六〇
医薬分業の方針
医薬分業に向けて
医薬分業の実施
医薬分業後の課題
病棟内の薬剤師
第二項 診断治療の革新
一 光科学技術の医学への応用 一一六七
がん細胞、半導体レーザー、白血球の探求
寄付講座とワークショップ
脳・精神科学の探求
二 感染症と闘う 一一七二
感染症新法
腸管出血性大腸菌(O157)
エイズ認識
「HIVとAIDSは違います」
浜松医科大学学生の結核調査報告
結核緊急事態宣言
第九節 文学・文化
第一項 文芸界の動き 一一八一
自由律の句誌
新人小説家の登場
童話ファミリー
第二項 新聞・情報紙 一一八六
地方紙の誕生と消滅
第三項 美術・工芸 一一八八
柳澤紀子の版画
多彩な美術界
第四項 音楽と音楽のまちづくり 一一九二
木津文彦の活躍
若手音楽家の登場
世界青少年音楽祭
市民オペラ「カルメン」
浜松国際ピアノコンクールの開催
ハママツ・ジャズ・ウィーク
ワルシャワとの協定
ショパンフェスティバル'94
ロチェスター市との協定
国際オペラコンクール
こどもミュージカル
浜松市楽器博物館の開館と活動
浜松国際ピアノアカデミー
浜松市アクトシティ音楽院の開校と活動
邦楽
第五項 映画 一二〇七
木下恵介記念館の開館とはままつ映画祭
第六項 郷土研究 一二〇八
終戦五十年の記念誌
第七項 文化一般 一二一〇
ユネスコによる「浜松の自然100選」制定
鳥居松遺跡からの家形土器の出土
歴史の散歩道の整備
石造文化財の調査と報告書の作成
松韻亭の開室
登録有形文化財
(主な参考文献)
あとがき 一二二五
図・表一覧
索引