平山市長は当選後の記者会見で、「民意を聞いて仕事を進める」、「財源確保のために工場誘致を進める」と語り、市民相談室の設置をはじめ、大幅な機構改革にも着手した。しかし、市長就任後五十日を経過しても助役が決まらず、市長は助役と市長公室長を兼務する多忙さが続いた。同市長は工場誘致を積極的に推進していくために、この方面に精通した人物を求めて自治庁と折衝したところ、同庁の西田徳長調査官を浜松市の助役に内定した。昭和三十四年六月二十九日の市議会本会議で西田助役の就任が承認され、市政は円滑な軌道に乗ることになった。新助役の就任から間もない七月十七日、選挙戦で岩崎前市長を応援した明朗市政推進会の代表が平山市長を市役所に訪ね、今回行われる大幅な人事異動について、「人事異動は公正にやつてもらいたい」などと記された文書を手渡した。これは岩崎前市長派とみられていた部長などの退職や課長などへ辞職勧告が出されたことへの抗議であり、激しい市長選が尾を引き、それが人事異動につながっていったと新聞記事は報じていた(『静岡新聞』昭和三十四年七月十八日付)。
図2-1 平山博三市長