浜松市は郷土の文化興隆や市勢の発展に尽くした功労者をたたえるための名誉市民条例を昭和三十五年三月の市議会で議決、公布した。この条例によると、名誉市民は市長が市議会の同意を得て推挙し、その事績を公表することにした。また、名誉市民章を贈呈し、事績を将来に伝える顕彰を行い、市の公式典への参列、相当な礼をもってする慶弔などの待遇がなされることになった。初の名誉市民には同年六月二十日の市議会で、元参議院議員、日本楽器製造株式会社(今のヤマハ)の会長を務めていた川上嘉市(七十五歳)が選ばれ、同年七月一日の市制記念日に平山市長から初めての名誉市民章が贈られた。
なお、平成十六年の合併以前に浜松市名誉市民の称号を贈られた人々は、次の四名である。
【山本又六】
・山本又六=昭和四十一年七月一日推挙。浜松工業 学校長、浜松工業試験場長などを歴任。織物産地 の振興に貢献した。
【内田六郎】
・内田六郎=昭和四十六年七月一日推挙。日本産婦 人科学会評議員・浜松市医師会議長を歴任、社会 教育の振興、芸術文化の向上、青少年の善導、文化財の保護に尽くした。
【髙栁健次郎】
・髙栁健次郎=昭和六十二年七月一日推挙。浜松高等工業学校(現静岡大学)に助教授として赴任、今日のテレビジョンの基礎を確立した。
【平山博三】
・平山博三=昭和六十二年七月一日推挙。昭和三十四年から連続五期浜松市長(全国市長会会長も務めた)。県西部中核都市としての基盤を確立した。
図2-3 名誉市民になった川上嘉市