[増え始めた公害の苦情]

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【公害】
 浜松市で排気ガス・騒音・臭気・汚水などの公害に対する苦情が目立ち始めたのは昭和三十三年頃からである。昭和三十五年になると、市役所内の市民相談室に持ち込まれる苦情は一カ月に五件から二十件を数えるようになった。このようなことから浜松市は公害防止対策に本腰を入れ始め、昭和三十五年六月二十八日に初の公害防止対策懇談会を開催した。これには市内の産業界、学識経験者、県・市当局三十余人が出席、公害の事前防止や既に発生している公害処理では、県と連絡を取って問題の円満解決を図るという基本方針を打ち出した。静岡県は昭和三十六年十月四日に公害防止条例を公布、翌年四月一日から施行された。航空自衛隊の基地を抱え、ジェット機騒音など基地に関わる公害が深刻になっていた浜松市では、昭和三十八年二月七日に浜松市自治会連合会の臨時総会が開催され、ジェット機騒音に対して市が積極的に防衛庁に働き掛けることを要望した。これに対して市は、被害地域全般に対する補償の実行を強く申し入れるとの意向を明らかにした。
 
【公害係】
 公害問題が深刻化する中、国は昭和四十二年(一九六七)八月三日に公害対策基本法を公布・施行したが、浜松市はこの前年の同四十一年四月一日に経済部商工課に公害係(三名)を設置した。この四年後の同四十五年十一月には浜松市公害対策協議会を結成したが、世論の高まりや市議会からの要望もあって、同年十二月二十二日に浜松市公害対策審議会へと発展させ、市長の諮問に対して公害対策の基本的な事項について調査・審議をすることになった。一方、公害係も佐鳴湖や馬込川の水質調査や様々な苦情の処理に当たっていった。