【マンション】
東京で日本初のマンションが出来たのは昭和三十年代前半、そして昭和三十七年に建物の区分所有等に関する法律(マンション法)が成立して様々な決まりが出来た。東京オリンピックが開催された昭和三十九年頃には第一次のマンションブームが起こったが、浜松のマンション建設はそれよりかなり遅く、同四十六年頃から建設が始まった。大型の分譲マンションで、松菱商事が幸町に建設した鉄筋コンクリート五階建ての松菱コーポ幸は同年の十二月に完成、すぐに完売となった。続いて同社は同四十七年に浜名郡舞阪町弁天島に同じく鉄筋コンクリート五階建てのマンションを建設、これも完成までに完売となった。これ以降、特に同四十八年には浜松ではマンションブームが到来し、和地山や蜆塚、上島などで多くのマンションが造られるようになった。市内の高層マンション建設が相次ぐと、これに伴って付近の住民との間に日照権をめぐる紛争が起きた。東京に本社がある地産が和地山一丁目に建設予定の七階建てのマンション建設により、付近の二十戸余りの住宅は太陽を奪われ、また電波障害や風害の恐れがあるとして解決策が話し合われた。この結果、高層階の一部を削ることなどで住民との合意ができ、マンションは建設された。このほか、多くの高層マンション建設地では付近住民によるマンション建設反対運動が起こった。これに対して浜松市は昭和四十八年十月十五日に「日照等に関する建築指導要綱」を施行、トラブルの防止に努めた。これ以降、景気の変動によりマンション建設は一進一退を繰り返すものの次第に高層化、高級化が進んでいった。また、賃貸マンションの建設も行われるようになった。同四十八年五月には社会福祉法人の聖隷保養園がマンションと健康管理サービスの機能を備えた高齢者世話ホーム・浜名湖エデンの園を建設、日本でも珍しい老人向けの高級マンションとして話題となった。