【高架化 東海道線高架化促進期成同盟会 西浜松駅】
浜松の市街地は東海道本線の線路で中心地域が分断され、南北の交通は二つの狭い地下道と長時間待たされる平田などの踏み切りなどにより不便この上ない状態であった。これにより、駅南地域の発展は阻害されてきたといっても過言ではない。こうしたことから、鉄道の高架化による南北地域の交通阻害の除去は市民の願いでもあった。昭和三十七年三月七日、国鉄新幹線浜松駅設置期成同盟会は目的達成のために解散、同日新たに東海道本線の高架化、客貨分離、市街地整備の実現を期して東海道線高架化促進期成同盟会を結成、署名活動や関係機関への陳情などを行うようになった。この運動の結果、昭和四十年の暮れまでに国鉄は浜松市の高架化事業を実施するという基本決定を行うに至った。その前提となる貨物駅の森田町への移転が同四十二年七月十七日に国鉄が正式に決定、そして同四十六年四月二十六日に新しい貨物駅(西浜松駅)が業務を開始した。
昭和四十七年三月に高架化事業の認可が下りると、高架用地一万八千百平方メートルの用地取得が始まり、三百十戸、約千人の住民の移転が始まった(当初計画)。