[再選が続いた平山市長]

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【平山市長】
 平山市政一期目の四年が終わろうとする昭和三十八年三月、各新聞は平山市長の無投票当選が濃厚であるとの記事を書き始めた。同年四月二十五日は市長選の立候補締め切り日、この日までに届け出たのは平山現市長ひとりのみであった。市長が無投票で当選するのは過去例のないことであった。これは平山市政一期目で三方原用水の着工、市民会館・体育館・児童会館・し尿処理場の建設などの大事業を次々と実現させた行政手腕が評価されたためと思われる。昭和四十二年四月の浜松市長選では三選を目指した平山現市長が、平山会を軸に自民党のてこ入れや、市内の政財界、各種団体、それに民社党、同盟系労組などの支援を受け、三選を果たした。官僚的な政治の打破、オートレース反対などを掲げた三候補を大差で破ったが、三選は浜松市政史上初めてのことであった。そして、昭和五十年四月の市長選では五選を果たし、同年六月、全国市長会の会長に就任するまでになった。