昭和四十四年一月三十一日、浜松南基地に教導高射隊が発足した。この部隊は航空自衛隊のナイキ教育の専任部隊である(浜松南基地『はまな』第60号)。ナイキとは中・高高度の空域に侵入する航空機等の目標に対して、地上からの電波指令によってミサイルを誘導し撃破する指令誘導方式の、アメリカ陸軍によって開発された地対空ミサイルである。航空自衛隊はナイキ・アジャックス弾を地上器材とともにアメリカから取得、装備した(『国防用語辞典』)。部隊は同四十三年十一月五日準備室が発足して以来着々と創設準備が進められていた。隊員はナイキ関係職域のエキスパートを主体に全国から集められ、隊長以下七十九名であった(『はまな』第60号)。
昭和四十四年三月六日、基地では教導高射隊の教育施設等を浜松市長・市議会議員・報道関係者等を招き公開行事を行った(『はまな』第62号)。同隊に昭和四十四年四月、日本で初めての地対空ミサイル「ナイキ・ジャパン」(ナイキJ)が登場した。ただし、これは模擬弾で実際には発射できないし、実弾も装備されていなかった。その頃日本の防空はナイキ・アジャックス(A)が主力となっていたが、「第三次防計画」はアジャックスに代わって、ジャパン(J)が任務に就くことになっている。ナイキJはナイキ・ハーキュリーの核を抜き、日本向きに改良したものであった(『静岡新聞』同年四月十一日付)。昭和四十四年度は五百人の隊員を教育する予定であった。同年七月二日一期学生十六名が着隊し、待望のJ転教育(Jミサイル転換教育)が開始された(『はまな』第66号)。
図2-9 浜松南基地