自衛隊への理解を深めてもらうための活動としては、前身の保安隊航空学校時代から基地の一般への公開、地元の高校の新聞記者への見学会の開催、自治会関係者との懇談会などを実施してきた。航空自衛隊浜松基地でジェット戦闘機による本格的な訓練が始まったのは昭和三十一年九月からで、これ以降基地への見学者が増加し始めた。
浜松基地見学の状況を昭和三十三年五月十一日付『静岡新聞』でうかがうと、五月の上旬だけで五千人が押し掛け、県内はもとより長野・愛知・岐阜方面からの団体客も多く、一躍浜松観光の第一位にのし上がった感じであったという(『新編史料編五』 二軍事 史料27)。
【基地専属ガイド】
そうした事情もあり、翌三十四年二月浜松南基地は基地専属のガイド(女性三名)を配置した(『静岡新聞』昭和三十四年二月十二日付)。基地の見学行程は一コース三キロで、観光シーズンには一日七~八回実施した(『静岡新聞』昭和三十五年十月十四日付)。見学者数を見ると、同二十八年四月の団体見学開始から八年目の同三十七年五月十四日百万人を突破した。幸福な百万人目に当たったのは静岡市から来た女性で、その前後の三人は同年八月十七日基地のC46輸送機で浜松市上空を三十分にわたって体験飛行を楽しんだ(『静岡新聞』昭和三十七年八月十八日付)。見学者数の推移を見ると、百万人から百五十万人は三年余りだが、二百万人まで七年、二百五十万人までは十二年かかっているので、昭和三十年代が一つのピークであったと考えられる。これは浜松に初めて登場したジェット機への関心の高さを物語る。『浜松市統計』の「観光地」の項目に昭和三十八年版から「航空自衛隊」が登場し、「南基地はガイド嬢が隊内の案内をして観光客にサービスしている」と紹介されている。同三十九年十四万人余の見学者があり、そのうち県内は六十二%、それ以外は愛知・山梨・長野のほか、その年は三重・岐阜・神奈川方面からの団体も訪れた。基地見学では花形のロッキードF104が人気であった(『静岡新聞』昭和三十九年十二月二十五日付)。
図2-11 浜松南基地の専属ガイド
昭和四十四年度の見学者は五万六千人余、見学コースはF86Fジェット戦闘機やT33ジェット練習機、メンター、ヘリコプターなど航空機展示場から展望台までの約一時間、展望台では南北両基地の飛行場とジェット機の離着陸訓練が見学できた(『静岡新聞』昭和四十五年十月二十四日付)。
【体験入隊 航空教室】
自衛隊には様々な人たちが体験入隊した。浜松南基地の体験入隊は昭和三十三年から始まったが(『静岡新聞』昭和四十五年三月二十七日付)、数が多くなるのは昭和四十年代に入ってからと思われる。自衛隊の体験入隊は、企業の新入社員教育の一環として実施されたものである。企業側の狙いは、自衛隊生活を経験し、団体生活を通じてチームワークと正しい規律を身に付けさせ、忍耐と根性を養う最適の場として選び、自衛隊は認識を深めてもらうのに良い機会だと歓迎した。昭和四十五年三月二十六日から浜松南基地で始まったリズム自動車部品の例だと、入隊者四十二人は二泊三日の日程で、午前六時起床から午後十時消灯まで、一般隊員と全く同じ日程であった。体験入隊の柱は基本教練で、一日一時間だが敬礼から歩行訓練までの基本動作をみっちり鍛えられた。浜松南基地の新聞『はまな』第63号(昭和四十四年五月発行)は「体験入隊花ざかり」として四月に二百五十余名が入隊したこと、年々企業の希望の多いこと、昭和四十三年度はこれまでで最高の千四十八人の入隊者があったことなどを報じている。そのほか、夏休みを利用して宿泊実習する大学生もいた。昭和三十五年から実費宿泊が始められ、八月四日から同十七日まで九州大学、室蘭工業大学等の十八名の学生が参加した。その頃は各大学とも航空機の教材に乏しいため、体験入隊は学生から「願ってもない」ところであった。八月だけで約三百五十人の実習生がいた(『静岡新聞』昭和三十五年八月十一日付)。
また、高校生を対象とした航空教室も開催された。これは防衛庁の機関紙・朝雲新聞主催で昭和三十七年開始、参加者を全国から募集、浜松等八基地で実施された。目的は空の知識を吸収し、航空自衛隊に対する認識を高めてもらうためであった。同三十九年同基地での教室は、二百名が二班に分かれ四泊五日の日程で隊内生活を体験した。目玉は四日目の体験飛行で、木更津の輸送航空団から三十人乗りのC―46型輸送機が差し向けられ、浜松周辺を約三十分にわたって飛行した(『静岡新聞』昭和三十九年八月十四日付)。また、それとは別に同基地独自の夏季航空教室も開催された。昭和三十九年の例だと、対象者は高校生のほか十六歳~二十歳までの一般青少年と小・中学校教職員で、期間は八月三日から同七日まで、基地見学のほか体験飛行等が入っていた(『静岡新聞』昭和三十九年六月二十一日付)。
【県少年航空団】
ほかには児童・生徒を対象とした体験入隊もあった。昭和三十八年に航空機に関心を持つ児童・生徒から編成された県少年航空団(約百二十人)から二十人の男女が参加した。日程は一泊二日で規律ある生活を学んだ(『静岡新聞』昭和四十二年八月二十九日付)。また、老人クラブ(葵町)の一日入隊もあった。老人クラブ側の発案で、老人の入隊は同基地初の出来事であった。内容的には映画鑑賞、基地司令との雑談、隊員と昼食、各ジェット機の操縦法等を学んだ(『静岡新聞』昭和四十二年十月十三日付)。
さらには、ボーイスカウトも入隊しレンジャー訓練を受けた。昭和四十五年六月浜松第七団ボーイスカウト隊二十人は、同基地の救難教育隊からレンジャー訓練を受けたが、同隊が入隊者にレンジャー訓練を行ったのは初めてという(『静岡新聞』昭和四十五年六月八日付)。職場や地域の旅行、児童・生徒の遠足以外にこのようにいろいろな人たちを対象とした体験入隊が実施され、自衛隊のPR活動の一翼を担っていた。新入社員の入隊等は、団体行動・協調性に欠ける若者を企業側が鍛えてもらう契機として積極的に推進したようであった。