浜松北基地の拡張に伴い、周辺の地域に様々な影響が出てきた。基地はジェット機の訓練の安全を主目的に昭和三十四年滑走路北側に新誘導路兼滑走路を完成させた。しかし、この誘導路は基地外周道路や浜松開拓の農地とわずか十メートルで隣接していたため、農民から使用されると危険との声が上がった。結局防衛庁は、滑走路に沿った道路及び農地を当初は幅五十メートル、長さ二千メートルの土地を買収する計画(安全地帯)で浜松開拓農協との間で買収交渉を進めた。交渉は難航したが、長さ千七百メートル、幅六十メートルを買収することで昭和三十五年三月に決着した。この時、農地だけでなく、四軒の民家も移転せざるを得なかった。
【谷上】
湖東地区の谷上(やかみ)は北基地滑走路のすぐ西続きにあり、航空機が離発着をするため危険地帯に当たり、戦前は旧陸軍の飛行機が二十数機墜落し、戦後も米軍機が一機、自衛隊機が二機墜落、その度に事故の恐慌と凄惨さを谷上の人たちは身に染みて感じていた。また、ジェット機墜落とともに谷上の人たちを悩ませていたのは、その爆音だった。離陸時最高百五十フォンという想像以上のやかましさであった。こうした恐怖と騒音から、特に南側の危険区域内の人たちは移転することを決め、昭和三十三年から防衛庁に対し、全面的移転へ伴う陳情を続け、移転区域の範囲や移転補償の問題で交渉を重ね、同三十六年一月交渉がまとまった。谷上地区四十五戸のうち、南側の危険区域内にある十九戸、百十八人の人が移転することになった(『新編史料編六』 二自衛隊 史料1)。
防衛庁は谷上に続いて基地周辺の危険性の高い地域の民家移転を進めていった。昭和三十八年度末には浜松北基地の滑走路東側にある民家六戸の移転が決まった。その後も、姫街道と基地の滑走路に挟まれた地域にある民家やその周辺の民家(土地)の移転も進めていったが、その移転措置の実績は表2―2のとおりである。
表2-2 基地周辺移転措置の実績
年度 | 実 績 | 計 | ||
区分 | 数量 (件) | 面積 (m2) | 金額 (円) | |
昭和38年度 | 建物 土地 | 9 9 | 569 2,874 | 6,527,000 13,473,000 |
39年度 | 建物 土地 | 8 8 | 634 2,425 | 7,782,000 12,692,000 |
43年度 | 建物 土地 | 1 | 167 | 949,000 |
44年度 | 建物 土地 | 3 15 | 293 (宅地)8,276 (農地)1,805 | 9,297,000 62,255,000 4,314,000 |
45年度 | 建物 土地 | 14 16 | 2,369 15,568 | 65,429,000 143,160,000 |
46年度 | 建物 土地 | 45 39 | 4,023 21,971 | 136,403,000 404,107,000 |
47年度 | 建物 土地 | 45 46 | 6,715 24,424 | 226,785,000 436,398,000 |