基地にジェット機が配備されてから、騒音が大きな問題となり、昭和三十四年五月十二日地元民が補償を要求する動きも出てきた(『静岡県史』年表)。また、騒音が学校の授業に影響を与えるというので大きな波紋を投げ掛けていた。学校は市や基地に陳情し、基地側も騒音の測定を行い、基準を超えた場合は防衛庁の補償の対象となり、騒音を防ぐ学校施設に改められた。校舎の防音工事は『浜松市史』四で述べたように昭和三十二年度に萩丘小学校、同三十三年度に萩丘・上島・伊佐見の各小学校で行われた。昭和三十四年度は、城北・葵が丘・伊佐見の各小学校と高台・湖東の中学校でも行われ、以後、基地周辺や飛行コースに近い学校や幼稚園でも行われるようになった。
【浜松市基地対策協議会】
基地対策を見る上で重要なのは、同三十七年二月十二日の浜松市基地対策協議会の発足である。従来不統一だった基地対策を一本にまとめ、防衛庁との折衝を行った方が都合が良いからである。協議会の構成員は、市・市議会・商工会議所・基地周辺七カ町代表を含めた二十人で、平山市長を会長とした。協議会は基地対策の問題点として、騒音、河川の汚濁、地下水の汚染等を挙げ、その改善を防衛庁に積極的に働き掛けて解決に努めるとした。その時、自治会などは十項目を市に申し入れているが、そのうち主なものを記してみる。一 離着陸コース直下の交通安全対策(谷上地区)、二 エンジン調整作業の防音処置(西山町)、三 外周道路の舗装整備(伊佐見・谷上地区)、四 汚水対策(伊佐見・谷上地区)、五 夜間飛行の中止(泉町・伊佐見地区)、六 電信・電波の障害(七カ町)などである。そこで取り上げた項目は各地域の切実な問題であったが、その多くはやがて改善されていった。先の二については、同年七月に配備される予定の新鋭機ロッキードF104機(地上の教育訓練用)対策であった(『静岡新聞』昭和三十七年五月一日付)。基地では五月に同機用のサイレンサーの公開試験を実施している。
基地側も周辺住民の理解と協力を得る必要があり、住民との交流を深めていた。その一例として昭和四十四年八月十四、十五日の両夜、浜松南基地で行われた納涼祭(盆踊り)には西山町婦人会や同子供会、基地周辺の一般市民も参加して大いに盛り上がったという(『はまな』第67号)。また、基地に隣接する自治会との懇談会を毎年開催、昭和四十二年六月二十三日には自治会長九名と基地対策を担当する市の部長が基地を訪れ、南北基地司令や関係幕僚らと基地周辺の整備問題について懇談した(『三方原』第80号)。