[大交番制度]

74 ~ 75 / 1229ページ
 静岡県は昭和三十六年(一九六一)度予算に小さな派出所等をまとめて大交番を設置するための予算を計上した。これは犯罪が凶悪化し、しかも自動車等の乗り物を使用することが多くなったため、警察力を強化するためであった。予定では県下三カ所に設置することにしていた(『静岡新聞』昭和三十六年二月十日付)。
 浜松で初めての大交番は、昭和三十八年六月十一日に助信町に開設された柳通交番(正式な名称は柳通巡査部長派出所)である。ここはこれまでの高林・助信・中沢・野口・船越の五派出所を統合したもので、巡査部長以下十二名が勤務することになった。機動力(バイク五台)を生かして犯罪や交通事故の防止に努めた。
 
【大交番】
 浜松中央署は犯罪のスピード化や広域化に備えて、その後も交番の集中化(大交番化)を進め、昭和三十九年三月に新川交番(早馬町、県下初の鉄筋三階建て交番、八人勤務)、同四十四年三月に南部交番(浅田町、七人勤務、パトロールカー一台)(『新編史料編六』 二自衛隊 史料16)、同年四月に北部交番(住吉町)、同年十二月に三方原交番(葵町、六人勤務)がそれぞれ設置された(『浜松警察の百年』)。これにより、市の中心部や南部、北部など犯罪や交通事故の多い地区に大交番が設置された。

図2-13 柳通交番