【機動隊】
戦後、様々な社会運動が起こり、さらにメーデー事件、火炎びん闘争等過激な事件も頻発した。そうした治安情勢に対処するため、昭和二十七年(一九五二)九月、時の国家地方警察静岡県本部に機動隊が設置された。その任務は集団警備力を常時継続的に保持し、所要の教育訓練を施して、事案発生の際は警備実施活動の中核部隊として威力を発揮するものであった。陣容は五十人で、四個分隊編成であった(『静岡県警察史』下巻)。その後、同三十六年七月各警察署員から成る第二機動隊が編成された。これも当時の社会情勢を踏まえ、県本部機動隊の補助組織として災害または騒じょうその他、集団不法事案を処理することを任務として設置された。浜松中央署は県西部の拠点として一個中隊(二個小隊、警部以下七十五人)が編成された。次いで同四十三年七月、県本部機動隊および第二機動隊の補助組織として、治安・災害・雑踏(祭礼等の行事に多数の人が集まる)の警備実施に当たることを任務として第三機動隊が設置された。浜松中央署には巡査部長以下二十二名二個分隊が編成された。これらの隊員はいずれも通常は担当業務に従事し、定期的に訓練を積み、必要に応じて実動部隊として出動することになっていた。
昭和四十年八月二十三日、浜松中央署・同東署・磐田・島田の四署の第二機動隊と県警機動隊(総員二百人)の合同訓練が航空自衛隊浜松南基地グラウンドで治安警備を目的に実施された。実際の出動例は、同四十四年九月二十一日市内のある高等学校の学校祭の時にあった。高校に浜松反戦高協に属する高校生や大学生約三十人が高校を退学となった生徒の処分撤回を求めて押し掛けたため、学校側からの要請を受けた浜松中央警察署の機動隊など約五十人が出動した(『静岡新聞』同月二十二日付)。また、同四十八年四月二十六日国鉄浜松機関区内でスト支援のため、革マル系の大学生約百八十人がデモ等を行ったため、機関区長の要請で機動隊が出動しこれを排除した(『静岡新聞』同月二十七日付)。