【警備警察】
警備警察は公共の安全と秩序の維持を目的として、国の公安または利益にかかる犯罪の取り締まり並びに各種社会運動に伴う不法事案の取り締まりを行うことなどを任務とし、具体的には主として治安警備(集会デモ)を担当していた。昭和三十五年~四十五年頃にかけては浜松地域でもしばしば集会やデモが行われ、その中で規模の大きなものは同三十五年四月から六月にかけての安保反対統一行動や同三十六年三月の国鉄動力車労働組合による合理化反対闘争、同四十年十月から十一月にかけての日韓条約反対闘争であった。また、毎年行われるメーデーなどの行進にも出動した。そのほか、雑踏警備としては浜松まつりとオートレースの開催時に出動している。
浜松まつりの警備体制を昭和三十五年で見ると、中央署では五月一日~五日まで警備実施本部を置き、浜松東署と協力し、磐田・天竜・細江・新居の隣接各署や県警本部、機動隊の応援を得て万全を期した。特に、暴力事件・すりに備え、私服刑事四班を編成して警戒に当たったり、重要道路の交通規制を実施した。また、パトカー・白バイを使い、重要八カ所に臨時警察官詰所を設置し、見物人の保護に当たった(『静岡新聞』昭和三十五年五月一日付)。
昭和三十一年四月、和合町に市営オートレース場が設けられ、当時は普通毎月九日間開かれていた。レース中は集団すり、置き引き、ノミ行為などの事件が多発し、浜松中央署ではその間常時最小限四名以上の警察官を派遣して警備に当たった。また、不穏情勢についての情報があると、私服員を含めて三十五人(一個小隊)以上に及ぶ人員を派遣する用意をしていた(『浜松警察の百年』)。