昭和四十五年(一九七〇)八月十九日十六時四十八分名古屋空港を千歳に向け飛び立った全日空機一七五便(乗員六名、乗客七十五名)が、銃のような物を持った若い男に乗っ取られ、十七時十九分航空自衛隊浜松北基地に緊急着陸した。その間に事件は同基地から浜松中央警察署に緊急電話で知らされた。同署では直ちに署長以下警察官を同基地に急行させた。静岡県警察本部は、飛行機を離陸させない、怪我人を出さない、説得を続け犯人を逮捕の警備方針を決定した。
全日空機の男から基地司令に、ライフル銃・弾丸・ガソリンの要求があり、機長から男へ一部乗客の解放を申し入れる等緊迫したやりとりがあり、五十八名が機から降ろされた。機長との無線連絡、解放された乗客からの聞き込み等から機内の状況把握に努めたところ、犯人は単独、目的は曖昧、拳銃一丁は模造品のようである等が分かってきた。十八時五十分機長が妊婦を降ろしたいというのを犯人が認め、機体後部のハッチから女性が降りてきた。その直後、中央署長以下数名が機内に突入、隙を見て署員が犯人に飛び付き逮捕した。事件発生から逮捕まで二時間ほどの出来事であった。解決には警察、航空自衛隊、乗員、乗客の見事な連携プレーがあった。
ハイジャック事件については、同年三月の日航「よど号」事件(赤軍派学生がよど号を奪いピョンヤンに亡命した事件)があったばかりで、一時関係者の緊張は頂点に達した。この事件はわが国二番目のハイジャック事件であった。犯人は乱れた生活から自暴自棄になった二十四歳の男で、浜松市内で二丁のモデルガンを購入しての犯行であった(『静岡新聞』同年八月二十日付朝・夕、『浜松警察の百年』)。