浜松市消防本部に化学消防車の第一号が常備されたのは、昭和三十六年十二月二十三日であった。化学車が導入されたのは、その頃車両増によるガソリンスタンドの増設、工場の油タンク新設等都市における油火災の危険が増したことによる。この車両のタンクは水で千二百リットル、薬品だと三百リットルの容量を持ち、油火災の場合は薬品を放射して消火に当たり、その他の火災は放水消火が行えるという新型消防車であった(『静岡新聞』昭和三十六年十二月二十二日付)。
専門の化学消防車導入はそれより二年三カ月後の同三十九年三月二十五日、相生町の東部消防派出所に配置された。この化学消防車は千三百リットルの化学消火液と二百リットルの泡末原液を積み込み、三本の放水口から高圧で消火液を出すようになっていた。これまで浜松市には専門の化学消防車が無く、航空自衛隊の二台に依存していたが、石油類の使用増から危険物火災が多くなり、同三十八年は三十二件も発生した。このため、三台程度に増やす計画であった(『静岡新聞』昭和三十九年三月二十七日付)。
【排煙高発泡車】
この頃、浜松の市街地では建物の高層化が進み、地下室も多くなってきた。その上建物に新建材等有毒ガスを発生させる材料を使用するようになってきたので、煙による死傷者が増加していた。それに対応するため、昭和四十三年十一月二十日には浜松市中消防署に排煙高発泡車が配備された。これは排煙または消火活動を行い、併せて人命救助を容易にさせた(『浜松消防のあゆみ』、『消防年報』昭和六十一年版)。
【はしご車】
昭和三十年代半ばから同四十年代初めにかけて、新型の消防車が各消防署に配備されたが、はしご車導入もこの頃であった。県下で初めてというはしご車は昭和三十五年二月十九日に消防本部に到着し、鴨江派出所に配備された。はしごはボタン一つで地上十六・七メートル(建物の四―五階)まで伸びるもので、先端に放水筒がついており、操作には七人の消防士が必要であった。これによりビル火災に対する消火威力は一段と強化された(『新編史料編六』 二自衛隊 史料24)。しかし、より高層なビルが増加したので、同四十一年六月二十五日三十二メートル余のはしご車が導入された。これは松菱百貨店から市へ寄贈され、「鳳竜」と命名され、中消防署に配備された(『新編史料編六』 二自衛隊 史料31、『消防年報』昭和六十一年版)。
図2-15 松菱百貨店から寄贈されたはしご車