[救急業務の近代化]

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【救急業務】
 昭和三十四年(一九五九)十二月、交通事故の激増に伴う救急業務が増えたため、消防本部は市当局に完備した救急車を至急配備するように要望した。この時使われていた救急車は、十年前の消防司令車でベッドの施設もなく、無蓋車で重体患者を収容するには極めて不適当なものであった。その上、救急車の要員は火災の第一線で活躍する消防士を充てて兼務させていたため、火災の時には救急活動は要請を受けても出来なかったのである。そのため救急要員の七名も含めて当局に考慮を申し入れた。
 
【救急車】
 これを受けて浜松市は増加する交通事故や火災時に対応するため、翌昭和三十五年八月十七日に浜松市消防本部へ新型救急車を配備した。後部開閉式で二つのベッドを備えるほか薬品戸棚、救命ブイ、救出用耐火服、無線電話、投光器、探照灯を装備したものだった(『静岡新聞』昭和三十五年八月十九日付)。
 昭和三十二年から同四十一年までの救急業務の回数とそのうち交通事故が占める割合を示したのが表2―4である。出動理由で最も多いのは交通事故であった。昭和三十七年中の救急車出動状況を見ると、全出動回数千三百二中、交通事故で九百十九回、七十・六%を占める。ちなみに二位は急病百五十一回(十一・六%)、三位は一般怪我五十九回(四・五%)、四位は自殺三十六回(二・八%)であった。
 救急業務の急激な増加に対して、昭和三十八年国は消防法を改正して、消防業務の一つとして救急業務を市町村に義務付けた。該当するのは人口十万以上で、人口集中地区五万人以上の市町村である。救急業務には先に挙げた以外には火災・風水害等、水難、運動競技、犯罪等があり(『消防総覧』一九七二年版)、業務内容が明確にされた。救急車の出動はその後も増え続け、昭和四十一年中は全体で二千百二十八回、同三十七年の一・六三倍になった(『新編史料編六』 二自衛隊 史料31)。
 
表2-4 救急車の出動回数と交通事故の割合
総出動回数交通事故に
よる出動回数
交通事故の
割合(%)
昭和32年443170.5
33年1279776.4
34年26120277.4
35年52739875.5
36年109083076.1
37年130291970.6
38年1702117268.9
39年
1735119268.7
40年1742122970.6
41年2128140966.2
出典:『消防統計書』1957・1958、『消防概況』1959・1960、『消防年報』昭和36年~41年より作成