[猛威を振るった伊勢湾台風]

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【伊勢湾台風】
 昭和三十四年(一九五九)九月二十六日超大型の台風十五号は紀伊半島に上陸、中部地方を縦断して東海地方に甚大な被害をもたらした。後に伊勢湾台風と命名されたこの台風による被害は死者四千七百人、行方不明四百一人、負傷三万八千九百二十一人、家屋の全壊・半壊・流失十五万千六百十八戸、同浸水三十六万三千六百十一戸で、史上最大の台風禍と言われた。空前の大惨禍となった原因は、台風の通過時間に満潮が重なり予想以上の高潮となったことにあった。また、自治体の対応の遅れも被害をより大きくした。この台風は都市の過密化、工場の地下水汲み上げによる地盤沈下、干拓農地の造成等、社会の変化に対応する防災対策の重要さを人々に教えることになった(『昭和二万日の全記録』11 講談社刊)。
 
【消防団 水防団】
 台風が接近すると市はいち早く災害救助対策本部を設け、短波放送や広報宣伝車等で市民に台風に備えての注意を呼び掛けるなどの対応に当たった。台風は二十六日夜になって浜松市に瞬間最大風速四十二メートルという強風と豪雨をもたらした。海岸に近い五島・河輪・白脇・新津方面に一時二メートルの高潮が押し寄せ、沿岸住民の中には避難した人もいた。また、馬込川がかなり増水したため、消防団・水防団が出動した。このほか五島地区の旧江之島橋が危険になったので、自衛隊に出動を要請した。午後八時には市内全域が停電となったほか、通信、電話、交通も一時途絶した。このため市内の被害は予想外にひどく、負傷者十名、家屋全壊百二十五戸、半壊四百八十二戸、床上・床下浸水六十六戸、被災者三千百二十一名、非住家全壊四百五十九戸・半壊三百六十七戸、農作物の被害六千八十四ヘクタール、農業施設四千二百五十四棟等に上った。このため災害救助法が発動されるとともに、市もすぐに被災者への救助を行った(『新編史料編六』 二自衛隊 史料34)。浜松商工会議所は同月二十九日、大工や木材・セメント・トタン・瓦等建設資材関係者および浜松中央署からの出席を求め緊急会議を開き、復興資材の値上げを防止し、円滑な市場の流通を確保するための対策を決定した(『浜松商工会議所百年史』)。
 
【災害対策基本法】
 伊勢湾台風を契機に総合的・計画的な防災行政の整備と推進を目的とした災害対策基本法が昭和三十六年に制定された。