[都田川農地防災ダムの建設へ]

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 都田川は引佐郡引佐町北部と愛知県鳳来町との境界鳶巣山南斜面に源を発し、引佐町・浜北市・浜松市・細江町の二市二町を流れ、海に至る流長四十九・九キロメートルの河川である。上流部は流れが早く、中流部は川幅が狭いため、洪水により農地や施設に多くの被害を与えてきた(県公式ホームページ「都田川ダム」)。
 
【都田川ダム】
 昭和四十一年(一九六六)三月、静岡県は都田川の災害防止のため、引佐町東久留女木新田に防災ダムを建設する計画を発表した。これは洪水に苦しんでいた下流の人々でつくる都田川改修促進期成同盟会などの陳情を受けてのものであった。同四十三年に行われた中間報告では、技術的・経済的にも妥当な計画と認められ、同年農林省はこれを防災ダム建設事業として採択した。同四十五年四月都田川ダム建設事務所が設置されて工事を開始、翌年十一月には水没補償の調印も終了した。当時、引佐町では直接的な利益がないなど消極的な意見もあったが(『引佐町史』下巻)、同四十七年頃からダムの目的を防災、農業用水、上水道にも利用しようとする動きが始まり、同四十九年の七夕豪雨によって流域に甚大な被害が出たのを契機に一気にダム建設が進んでいった。
 その後、テクノポリス(技術集積都市)開発のため流域の浜松市をはじめ引佐郡三町の農業用水、飲料水の需要増加から昭和四十九年に計画を変更、洪水防止に加え、農業用水、飲料水確保のための多目的ダムとなった(『新編史料編六』 二自衛隊 史料45)。