【鉄筋コンクリート建て校舎】
戦後初の鉄筋コンクリート建ての校舎については『浜松市史』四で述べたが、昭和三十三年度の十三校の校舎の増改築工事のうち、鴨江・新津・上島の各小学校が木造、その他の十校は鉄筋コンクリート建てとなった。同三十四年度には十一校中、萩丘・浅間・広沢の三小学校が木造のほか、八校が鉄筋校舎となり、以後鉄筋校舎の割合が増していくが、昭和三十八年度に入っても木造校舎の増改築は続いていた。一方、校舎の老朽化により危険となった学校の改築も昭和三十年代後半から始まった。昭和三十七年十一月五日号の『広報はままつ』は、「学校建築ことしは十校 中心は老朽改築へ」の見出しでこの動きを記している。この頃、三方原小学校には明治三十九年、大正四年、同八年建設という老朽校舎があった。同校では昭和三十七年から三十数回にも及ぶ陳情や集会を持って浜松市に校舎の改築を要望、これがようやく実って鉄筋コンクリート三階建ての新校舎が完成したのは昭和四十年三月のことであった。これまで二階の校舎も無かった同校の児童たちは、完成した三月二十五日に階段をかけのぼって、三階の教室の窓を開け、一斉に「バンザァーイ」「バンザァーイ」と叫んだという(『三方原小学校百年誌』)。明治時代に建てられた老朽校舎で学んでいた子供たちにとっては夢のような校舎に映ったことであろう。
【鉄筋四階建て】
遠州地方で校舎が初めて鉄筋四階建てになったのは、昭和三十六年に完成した浜名高等学校であった。この動きは市内の中学校にも波及、市内初の鉄筋コンクリート四階建ての校舎が出来たのは昭和四十一年四月の南部中学校と高台中学校であった。小学校はこれよりやや遅く、昭和四十四年の北・和田・富塚の各小学校が四階建てとなり、以後、多くの学校が四階建ての校舎に改築されていった。