防音校舎

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 航空自衛隊浜松基地では昭和三十一年九月からジェット戦闘機による操縦訓練が開始されたが、ジェット機の出す爆音の大きさに市民は驚いた。基地周辺の学校にも深刻な影響が出始め、昭和三十二年度と翌年度にかけて関係する萩丘・上島・伊佐見の各小学校で防音工事が行われたことは『浜松市史』四 第三章 第二節で述べたとおりである。これらの工事は既存の施設の一部を防音仕様に替える工事であった。三十四年度以降は城北・葵が丘・伊佐見・曳馬などの各小学校、高台・湖東・曳馬などの各中学校で行われたが、湖東中学校の場合は併行防音工事(新築や増築の工事にあわせて行う防音工事)であった。基地の滑走路に近い萩丘小学校で木造の施設を鉄筋コンクリート造の防音施設に改築する工事が始まったのは昭和三十八年度で、以後、伊佐見・上島・葵が丘・北庄内・積志・和地・与進・村櫛の各小学校などで、中学校では高台・積志・湖東・与進などで行われた。防音工事が行われると教室の温度が問題となる。これを解決するために冷房工事が始まったのは昭和四十四年度からで、葵が丘と伊佐見の各小学校で、また、北庄内小学校では暖房工事が実施された。幼稚園での防音工事は昭和四十六年度に中ノ町・和地の両幼稚園で行われたのが始まりで、この後多くの幼稚園でも行われた。これらの一連の防音工事は昭和四十七年度までに小学校十八校と二分校、中学校十校、幼稚園三園、保育園二園で行われ、これまでの教室は一新されていった。ただ、冷房には莫大な電力を要するため、初期には冷房を実施していたが、次第に冷房を入れないままの学校が増え、本来の機能が十分果たせない状況が続いたのが実情であった。