【指導要領の告示 道徳教育】
昭和三十三年十月、文部省は小中学校の新しい学習指導要領を告示した。これは、日本の独立、国連加盟、ソ連・アメリカの人工衛星打ち上げといった時代背景の下、国民の教育水準を高めようとしたもので、これ以前のものと違って文部省の告示として官報に公示し、国家基準として法的拘束力を持つものとなった。その骨子は道徳教育の充実、地理・歴史教育の改善、国語・算数(数学)など基礎学力の充実、科学技術教育の向上などで、これにより小中学校では各教科のほか、道徳、特別教育活動、学校行事等と四つの領域によって教育が行われることになった。この学習指導要領の完全実施は小学校では昭和三十六年、中学校では同三十七年とされたが、その一部は移行措置としてそれ以前に開始された。特設された道徳の時間は『浜松市史』四 第三章で述べたとおり浜松市では昭和三十三年の秋から開始されたが、現場では副読本がなかったこともあり、どのような指導をしていったらよいかの戸惑いが多かった。これを受けて教育委員会は芳川小学校と入野中学校を道徳教育の研究校に指定し、指導方法や指導過程をどのようにしたらよいかを研究させた。また、昭和三十年代半ばからは各地で研修会や講演会、授業公開、研究発表会などが続々と開催されていった。静岡県教育委員会でも道徳の時間をどのように展開したらよいかを総合的に研究し、各地の実践資料も入れた道徳教育の手引きとなる小学校用の『道しるべ』と中学校用の『道標』を刊行した。この冊子は各学校の研修会でたびたび使用され、道徳の時間をどのようにしたらよいか迷っていた教師にとって良いバイブルとなった。ただ、この時期は文部省が発行した資料を使うことが多かったが、資料が長文であること、浜松の児童・生徒にとって身近ではないものもあること、生徒分の資料を複写・印刷する手段があまり無いこと(当時は謄写版印刷)などのため、適切な資料を用意するのに多大な時間を要することが多く、一時間の道徳の時間を実施するのは容易なことではなかった。
【経験学習 系統学習】
教科指導の面ではこれまで主として行われていた経験学習(問題解決学習)から系統学習へと授業形態が変わり、基礎的な学力の定着が図られた。中学校の社会科では一年生は地理的分野、二年生は歴史的分野、三年生は政治・経済・社会的分野の学習が始まり、一部の人たちから〝戦後の社会科教育は終わりを告げた〟といわれるようになった。理科は基本的な事項が精選され、その学習順序も系統的となり、中学校では物理・化学と生物・地学の二分野制となった。同じく中学校ではこれまでの職業・家庭科は技術・家庭科となり、男子は工的な内容に、女子は家庭的な内容を中心に学習するようになった。
【学力テスト】
戦後の新教育で子供たちの学力が低下したとされたが、学力の向上が叫ばれ始めたのは昭和二十年代後半であった。昭和三十年代に入ると文部省は全国の子供たちの学力の程度を見るとして、学力テストを実施するようになった。教職員組合は教育内容の統制を招くとしてこれに反対したが、学力テストは昭和四十一年度まで続くことになる。このテスト結果は詳細に分析され、学級規模、専攻教員や設備の有無など、様々な要因が学力の高低に影響しているとの報告書が刊行された。これにより、一学級当たりの児童・生徒数を減らすこと、専攻教員の配置、教員の指導力の向上が図られることになった。