中学校でのクラブ活動は運動部の場合は市内大会、西部大会、県大会と進んでいったが、昭和三十年代からは通信競技大会の開催により全国的な順位が出るようになった。水泳では昭和三十六年八月二十三日から三日間にわたって浜松市営元城プールで第一回全国中学生選抜水泳競技大会が開催され、北海道から沖縄まで百九十六校、五百六十九名が参加した。これは戦後初の全国大会、中学生の対外競技を禁じていた文部省の次官通達が同年から緩和されて行われるようになったもので、東京オリンピック大会への一つの布石であった。浜松からは当時全盛を誇っていた篠原(男・女)・信愛(女)の両中学校から多くの選手が参加、篠原中学校は男子八百メートルリレーで全国四位の好成績を収めた。なお、開会式では篠原中学校の天野憲一選手が選手代表として選手宣誓の栄誉を担った。この大会で日本水連の高石会長は「あなた方の活躍が東京オリンピックを左右するのです」と選手を激励、新聞の見出しには「東京五輪へ最大の望み」と記されていた。中学校のクラブでは水泳のほか、野球、ソフトボール、サッカー、バレーボール、バスケットボール、卓球、体操、柔道、剣道などが行われ、各大会に駒を進めた。文化クラブでは昭和三十年代中頃から吹奏楽部が出来始め、四十年代からは中部日本吹奏楽コンクールや全日本吹奏楽コンクールに出場する学校が出てきた。また、学校行事や各種の大会に吹奏楽の存在は必要不可欠なものとなり、各校は吹奏楽部を競って持つようになったが、一部の楽器はあまりに高額なこと(楽器によっては個人持ちも)、指導者の不足などで全ての学校に出来たわけではなかった。各学校で作成された記念誌には学校時代の思い出としてクラブ活動に関するものが数多く掲載されている。クラブ活動は教育課程にはなく、放課後の活動ではあったが、多くの児童・生徒の心身面の成長に多大な影響を与えたのである。昭和四十五年から中学校では学習指導要領が改訂(移行)され、時間割の中に一時間の必修クラブが特設された。この時、学校では必修の方をクラブ活動とし、放課後に行うものを部活動と呼ぶようになった。表2―9は昭和四十四年度の北星中学校のクラブの一覧である。この時点はフリークラブ制で、最低週に一時間以上放課後に活動するとしている。加入率は九十四%であった。表2―10は曳馬中学校の昭和四十九年度の必修クラブ名と放課後の部活動名を示したものである。当時学校によっては、運動部に所属している生徒には文化的、生産的クラブになるべく入るように、文化部に属する者には運動のクラブに入るように勧めていた。
表2-9 昭和44年度の北星中学校のクラブ名
陸 上 | 生 花 |
体 操 | 書 道 |
バスケットボール | 珠 算 |
バレーボール | 文 芸 |
サッカー | 合 唱 |
卓 球 | 美 術 |
ソフトボール | 郵便友の会 |
水 泳 | 科 学 |
剣 道 | ブラスバンド |
計算尺 | 園 芸 |
家 庭 | 郷土研究 |
表2-10 昭和49年度の曳馬中学校の必修クラブ名と放課後の部活動名
必修クラブ名 | 部活動名 | |
バスケット | 工 芸 | 陸上競技 |
バレー | 鉄道研究 | 柔 道 |
卓 球 | 放送演劇 | バレーボール |
テニス | 立笛ギター | バスケットボール |
サッカー | 模型工作 | テニス |
剣 道 | 読書・文芸 | 卓 球 |
トレーニング | 点 字 | サッカー |
郷土研究 | 手 芸 | 水 泳 |
華 道 | 書 道 | ブラスバンド |
園 芸 | 新聞切抜き | 演 劇 |
調 理 | 合 唱 | |
生 物 | 郵便友の会 | |
科 学 | 茶 道 | |
エレクトロニクス |