教育機器

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【浜松市学校教育視聴覚ライブラリー 教育テレビ テレビ OHP】
 高度経済成長期に入り、教育界にもいろいろな機器が入り始めた。昭和三十五、六年度の両年で浜松市内の全ての小中学校に十六ミリの映写機が入ったが、これは全国的に見ても早い時期の導入であった。これを受けて昭和三十六年六月十日に浜松市教育研究会の中に浜松市学校教育視聴覚ライブラリーが発足した。当時は児童・生徒から運営費を徴収してのスタートであった。翌年には浜松市児童会館の落成により、このライブラリーは児童会館に移った。昭和三十九年には浜松市社会教育課の学校・社会教育共同の視聴覚ライブラリーとなり、浜松市教育委員会社会教育課に移転、視聴覚教具やフィルム、スライドなどの貸し出しなどを始め、学校の授業などに活用されるようになった。NHK浜松放送局で教育テレビの放映が開始されたのは昭和三十五年九月一日、教育テレビでは東京、大阪、函館に次いで全国四番目の早さであった。これを受けて浜松市内の学校にはテレビが急速に普及していった。昭和四十五年度には浜松市の小中学校にOHP(オーバーヘッドプロジェクター)が入った。これは室内を暗くしなくても鮮明な映像が得られること、色彩効果を加えたり、様々な資料が使用できること、児童・生徒も資料の作成が出来ることなど多くの特性を備えており、各教科で広く使われるようになった。このほかシンクロファックス、アナライザー、テープレコーダー、ソノシート、VTRなども入ったが、このうちよく使われたのはテープレコーダーとVTRで、ほかはあまり利用されることはなかった。
 
【謄写ファックス コピー機】
 明治以降長く使われてきた謄写版による印刷は昭和四十年代中頃から謄写ファックスによる印刷となり、イラストなども簡単に製版でき、印刷も回転式のものとなって副教材やテスト問題、連絡文書などの作成が容易になった。コピー機は昭和四十年代まではジアゾ式コピー機(青焼き、商品名はリコピー)であったが、部数の少ないものの複写に多く使われた。