【浜松衛生短期大学 看護婦養成】
昭和四十一年四月に衛生看護科の聖隷学園高等学校が開校したことは先に記した。この学校を卒業すると准看護婦の受験資格を取得することが出来たが、さらにこの学校の卒業生が看護婦の受験資格を取得するため上級の教育機関を設けることが検討され始めた。聖隷学園高校の初代校長の西村ミサは『聖隷学園 二十年の歩みと展望』の中で、長谷川保が「日本のこの深刻な看護婦不足解消のためには、まず看護婦数を増さねばならぬ。量の不足を解消することから始めて質の向上を」という見識を持っていたことを記している。第一回卒業生の卒業に間に合わせるべく短大の設立を考え、多くの準備を経て文部省に認可を申請、昭和四十四年三月に認可が下りた。こうして浜松衛生短期大学は四月二十二日に初の入学式を挙行、看護婦を目指す九十八名が入学した。県下では看護婦養成を目指す初めての短大であった。なお、同短大は昭和四十九年四月に三年制の短大(第一衛生看護学科)を設置し、より高度な看護教育が開始された。これに伴い、従来の聖隷学園高等学校は同四十八年四月に普通科を設けた。