[東京学生寮の設置]

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【浜松市学生寮】
 昭和三十五年八月五日号の『広報はままつ』は一面トップで「東京へ浜松市学生寮」、「財団法人組織で建設、運営」、「市内出身学生百人収容」の見出しの下、在京の大学生のための寮が建設されることを報じた。この背景については、現在東京に在学中の市内出身者は約千二百人いること、東京の住宅事情の深刻さにより学生が悩みを訴えていること、多くの青年に経済的負担の軽減で東京で学びたいとの希望を持たせたいこと、市民の中からより多くの優秀な人材を育てたいことなどが記されている。計画によると建設地は文京区駒込林町で、学生二人ずつが止宿できる部屋を約五十つくり常時百人を収容するという。寮費と食費で一カ月五千円程度で、学生にとってはいろいろな面で便利になるとしている。財団法人浜松市学生寮は市が市費二百五十万円を寄付し、金融機関からの融資を受けて、建設予算は約二千七百万円を予定しているという。この学生寮は昭和三十七年一月七日に落成、二人定員の寮室は四十八で、定員は九十六人、落成と同時に六十七人が入寮(残りは新入生用)した。昭和三十九年度の寮生募集の要項には費用として食費、暖房費を含めて月七千円程度となっている。画期的な学生寮が誕生したものの、入寮資格は男子学生のみで女子は入寮できなかったため、女子の入寮や女子寮の建設などの意見も多かったが、実現できずに終わったのは遺憾なことであった。なお、この学生寮の一室には浜松市の東京事務所が入居、国会や各官庁などとの事務連絡、全国市長会などの在京関係機関との事務連絡などに当たった。