【浜松高等看護学院】
看護婦養成については高等学校の項で取り上げたが、それだけでは足りず看護婦養成のための学校が幾つか設置された。昭和三十九年九月四日、県西部では初めての県立浜松高等看護学院が海老塚町の仮校舎で開校、翌年三月二十五日に富塚町(今の浜松医療センターの東側付近)の新校舎に移転した。この高等看護学院は中卒で実務経験三年を経た准看護婦と高卒で准看護婦の資格を得た者をさらに二年間教育して、国家試験で正看護婦に育てる学校であった。
【静岡県厚生連高等看護学院】
県内の農協を母体とする静岡県厚生農業協同組合連合会(厚生連)が経営する病院は浜松市の遠州病院ほか静岡や清水などにあった。これらに勤める看護婦は関係する浜松と静岡の病院に付属する学校で養成されてきたが、これを統合して昭和四十五年四月一日に遠鉄積志駅東の大瀬町に静岡県厚生連高等看護学院が開設された。この学院の入学資格は高校卒で、三年課程、一学年四十名の定員で発足、人気があり競争率が四倍を超えたこともあった。一般教養の講師には静岡大学や静大工業短大、県立女子短大などの教授などが当たり、看護・医学関係の講師は遠州病院をはじめ、県内の厚生連の病院の医師や看護婦長などが務めた。就職先はほとんどが県内の厚生連病院であった。これらのほか、看護婦養成機関は国立浜松病院附属高等看護学院など大きな病院にあった。なお、浜松医科大学の浜松設置が決まった昭和四十八年には同大学への看護学科併設の声も上がったが、その実現は平成の時代に入ってからのことであった。