戦後各種学校の設立が相次いだことは『浜松市史』四で触れた。各種学校は昭和二十二年に公布された学校教育法で明確な法的根拠を持つに至ったが、昭和三十二年一月に施行された各種学校規程により、より詳細な基準が定められ、これに該当しないと学校の名称は使えないことになった。基準の例としては修業年限は原則として一年以上、年間授業時数は六百八十時間以上、校長と三人以上の教員、校舎は最低三十五坪以上(生徒一人当たりの面積などの規定も)などがあった。静岡県の各種学校の連合体は昭和三十七年にこれまでの静岡県各種学校協会連合会から静岡県各種学校教育振興会と改称、教職員の研修や生徒が参加する様々な大会の開催、意見発表会などを開催してきた。浜松の各種学校の多くもこの会に加盟していた。表2―12は昭和四十五年度における認可された浜松市内(可美村を含む)の各種学校の一覧である。洋・和裁部門では洋裁が最も多く、その多くは東京の文化服装学院や杉野学園ドレスメーカー女学院の連鎖校(認証校)で、浜松で大きかったものは笹田文化服装学院(図2―23)と浜松文化服装学院である。入学資格は中卒、高卒、短大卒などで、修業年限は一年が最も多かったが、中卒では二年や三年コースもあった。また、社会人を対象とした夜間コースもあり、学校によっては華道・茶道・人形・ろうけつ染などの授業も行われた。編物関係ではアルスアミモノアカデミーが日本有数の編物学校であったが、これは昭和十二年の創立で、その母体は浜松にあった編機の大手メーカー・アルス編機製作(株)であった。
【珠算教育 尾崎速算学会 浜松経理学校 浜松啓陽高等学校 静岡県西部理容美容学校 カワイ中央音楽学園 浜松朝鮮初中級学校 東海学院】
浜松の珠算教育は明治以降大変盛んで、戦後になっても市内各所に出来た珠算塾に大勢の子供たちが通った。珠算塾で学ぶと算数・数学が得意になる、金融機関に就職するには珠算の習得が必須、また、塾によってはしつけもしてくれるということで親からの期待も大きかった。浜松の珠算塾としては明治末期に出来た尾崎速算学会が有名で、戦後は各種学校にまで発展した。また、市内には表2―12のように十余の珠算学校があったが、各種学校ではない小規模な珠算塾が多数あった。商業関係では中沢町にあった浜松経理学校は大正期の開校で、規模が大きく、簿記や経理事務の指導に定評があった。中卒・高卒などのコースがあり、浜松短期大学などの短大への進学も可能とあって、昭和四十年代には五、六百名近い生徒が学んでいた。この時期にあった多くの各種学校が衰退していく中、この学校は平成の時代に入ってさらに大きくなって三方原台地に移転、現在は浜松啓陽高等学校となった。理美容関係では静岡県西部理容美容学校が有名であった。中卒以上が入学資格で、店で働いている人も多かったため、夜間や通信制の課程も設けられた。当時、浜松の理容師・美容師のほとんどはこの学校で学んだ生徒であった。音楽関係ではカワイ中央音楽学園(河合楽器製作所本社内)があった(図2―24)。これは全国に展開しているカワイ音楽教室の講師を養成する学校で、遠くから来た学生は寄宿生活を送りながら勉強に励んだ。外国人関係では東田町に朝鮮民主主義人民共和国系の浜松朝鮮初中級学校があった。この学校については掛川市の戸塚廉が発行した「おやこ新聞」の昭和四十七年三月二十五日号に朝鮮学校を訪問した時の記事が大きく掲載されている。それによると、鉄筋コンクリート三階建ての校舎で小中学生が同じ学校で勉強していること、一学年十名程度であること、子供たちは日本で生まれて日本語の方が上手だが、学校では授業はもちろん遊びの時も朝鮮語が使われていること、先生も日本語の方が上手だが、朝鮮語で教えなければならないため朝鮮大学を卒業した若い教師に朝鮮語の指導を受けていること、男の子は日本人と同じような服を着ているが、中学生の女の子はみなチョゴリ(朝鮮の民族服)を着ていること、教室の前には金日成首相の写真がかかっていることなど、この学校の様子を詳細に記している。この学校は平成の時代になって静岡の学校に統合された。予備校関係で東海学院のことは百六頁で触れたが、その後大学受験科(電波工業科)などのほか、昭和三十年代後半からは学力調査科を設けて、西部地区の中学三年生の進学希望者を対象とする模擬テスト(学力コンテスト)を開始、昭和四十年代初めにこれまで担当してきた静大学生進学会の撤退により業務が拡大、この後静岡県の教職員や校長会などがつくった出版文化会主催の学力検査とともに、模擬テストを年数回行うようになった。このテストの成績によって受験生の志望校がほぼ決まるとあって多くの学校が参加、昭和四十三年度の東海学院の学力コンテストには西部地区のほぼ全ての中学校が参加するまでになった。
図2-23 笹田文化服装学院本館(昭和41年)とろまん館(昭和47年)
表2-12 昭和45年度の浜松市の各種学校
部門 | 校名 | 所在地 | 部門 | 校名 | 所在地 |
洋・和裁 | ○笹田文化服装学院 | 東伊場一丁目 | 珠算 | 浜松山下珠算学校 | 山下町 |
○サイトウ洋裁学院 | 高町 | ○浜松渥美珠算学校 | 寺島町 | ||
○浜松文化服装学院 | 松城町 | ○加藤珠算学校 | 砂山町 | ||
○鴨江洋裁学園 | 鴨江町 | 浜松砂山珠算学校 | 砂山町 | ||
○林洋裁学院 | 馬込町 | 浜松中島珠算学校 | 中島町 | ||
○華星女子文化学院 | 和地山一丁目 | 佐藤珠算学校 | 佐藤町 | ||
○桜文化服装学院 | 助信町 | 浜松馬込珠算学校 | 馬込町 | ||
オータ・ドレスメーカー女学院 | 元浜町 | 浅間珠算学校 | 浅田町 | ||
○斉藤衣服専門学院 | 元魚町 | ○東部尾崎珠算学校 | 佐藤町 | ||
○富塚高等技芸学院 | 富塚町 | 遠州速算学校 | 海老塚町 | ||
○浜松すみれ洋裁学院 | 東伊場二丁目 | 伊野田珠算学校 | 布橋一丁目 | ||
○中村文化洋裁学院 | 天竜川町 | 料理 | ○浜松家庭料理学園 | 栄町 | |
○松下文化洋裁学院 | 佐藤町 | ○浜松友クッキングスクール | 中山町 | ||
○旭文化服装学院 | 西ケ崎町 | 商業・簿記 ・経理 | ○浜松経理学校 | 中沢町 | |
牧野和洋裁学院 | 天神町 | 語学 | 斉藤英語学校 | 松城町 | |
○高橋文化服装学院 | 北田町 | 企業内 一般教養 | ○遠州製作技能学校 | 可美村高塚 | |
○平山文化服装学院 | 城北二丁目 | 東洋紡績浜松高等女学院 | 東伊場二丁目 | ||
○白百合洋裁学院 | 助信町 | 錦松学園 | 宮竹町 | ||
○浜松高等技芸学校 | 可美村高塚 | 自動車 | 静岡県自動車学校浜松校 | 和地山二丁目 | |
編物・ 手芸 | ○アルスアミモノアカデミー | 元城町 | 理美容 | ○静岡県西部理容美容学校 | 鴨江一丁目 |
○アルス編物技芸専門学院 | 元目町 | 看護婦 | 浜松市医師会付属准看護婦養成所 | 紺屋町 | |
浜松服装技芸学院 | 助信町 | 遠州総合病院付属准看護学院 | 常盤町 | ||
○ひまわり編物技芸専門学院 | 塩町 | 芸能 | 浜松歌舞技芸学校 | 千歳町 | |
若葉学園 | 北田町 | 音楽 | カワイ音楽教室本部付属中央音楽学園 | 北寺島町 | |
○アルス編物技芸学院 | 佐藤町 | 外国人 | 浜松朝鮮初中級学校 | 東田町 | |
○浜松ブラザー編物学院 | 早馬町 | 予備校 補習 | 東海学院 | 東伊場町 | |
珠算 | ○浜松速算学校 | 伝馬町 | 浜松女子専門学院 | 浅田町 | |
○尾崎珠算学校 | 大工町 | ○木戸英数学院予備校 | 木戸町 | ||
○助信珠算学校 | 助信町 |
注:○印は静岡県各種学校教育振興会の会員校。
図2-24 カワイ中央音楽学園