【東部公民館 西部公民館】
相生町にあった東部中学校が昭和四十三年に飯田町に移転、旧東部中学校の鉄筋コンクリートの校舎が空いた。この中学校の六教室を改造して浜松市立東部公民館が開館したのは昭和四十三年十月一日であった。専任の職員を配置し、各種学級の開設、施設設備の提供、展示会や講演会、グループ活動の育成など、東部地区の社会教育の拠点としての役割を果たすことになった。続いて、昭和四十五年五月二日に浜松市立高校内に浜松市立西部公民館(図2―25)が開館した。この建物は大正期に浜松高等工業学校の校舎として建設され、鉄筋コンクリートの頑丈な建物であったため、戦災でも焼失を免れ、戦後は静岡大学工学部の電子工学研究施設となり、テレビの研究が行われていた。この施設が静岡大学の電子工学研究所に昇格し、現在地(中区城北三丁目)に移転したため、同四十一年に浜松市立高校の校舎に払い下げられ、一部が校舎として使用された。その後、同校の校舎の整備が進み、この建物の再利用について地元の自治会などから公民館にしてほしいとの意見が出て、浜松市もこれに同意、この校舎の一階部分を改装して公民館にしたのである。西部公民館には市の職員が二名配属され、多くの講座や各学級を開設、生涯教育の拠点となった。東部と西部の二公民館は市内の中心部にあり、専任の職員が配置されたため、多くの社会教育事業を行うことができ、そのため利用者は急増していった。新聞の見出しにも「開館半年で人気者」「住民に広く貢献 講座、学級に大繁盛」と出るほどだった。この二公民館の成功により、浜松市は新しい生涯教育の構想の下に新しく設計し、全国に誇り得る大規模な浜松市立北部公民館を開館させたのは昭和四十九年二月十七日のことであった。これについては第三章で記したい。
図2-25 西部公民館