[浜松市児童会館の誕生]

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【浜松市児童会館】
 静岡県が県立の児童会館を静岡市の駿府公園内に開館させたのは昭和三十二年十一月のことであった。科学展示室、工作室、天文室、音楽室、ホールなどがあり、特に子供たちに人気を博したのは東京の交通博物館にあるのと同様な鉄道模型であった。当時の『県民だより』には「まだ日本ではどこにもない始(初)めての施設です。」と記されていた。ただ、浜松の子供たちにとっては当時の静岡市はあまりにも遠く、時折やってくる児童会館の巡回車では物足りなかった。「浜松市にもぜひ児童会館をほしい」との声が高まり、浜松市児童会館(図2―26)が開館したのは昭和三十七年八月二十日のことであった。前年に浜松市民会館が完成し、これまでの浜松市公会堂はその役目を終了、市はこの公会堂を改装し、その南側に八百余平万メートルを増築して児童会館としたのである。
 
【プラネタリウム】
 開館した頃の『広報はままつ』の見出しに「夢の天文台 プラネタリウムが四階に」とあり、また、「注目のプラネタリウムは機械だけが五百二十五万円もしましたが、このほか二百万円の鉄道模型、多彩な科学展示室など、施設内容からみても全国にほこる児童会館です。」と報道した。館内には、科学展示室、音楽室・器楽室、学習室、視聴覚室、ホールなど、県の児童会館を意識し、これを上回る規模とした。鉄道模型(運転開始は昭和三十八年三月二十一日)について『広報はままつ』は「静岡市にある県立の児童会館にも鉄道模型はありますが、規模ではこの浜松市児童会館の方が大きく、よい子たちにきっとよろこんでいただけることでしょう。」と記し、浜松市が静岡に負けてなるものかという気概を持っていたことが分かる。プラネタリウム(蒲郡市の興和光機製)は浜松ライオンズクラブなどの寄付により設置されたもので、天井は直径十メートルのドーム型をしており、冷暖房が完備していたので、快適に見る(一回三十分)ことが出来た。この児童会館は浜松市を福祉都市にしようという市政の基本方針によって児童厚生施設として建設され、当初は厚生部(後に民生部、市民部を経て、昭和五十年からは教育委員会)が所管していた。土曜・日曜日、春・夏の休み期間は子供たちで大変なにぎわいを見せた。昭和四十年代にはレーシングカーに興じる男の子が多く訪れた。

図2-26 浜松市児童会館