【PTA】
児童・生徒の保護者と教員とからなるPTAは子供たちの健全な成長を願って活動を続けてきた。学校の施設や周辺の環境整備が市や県の財源不足で思うようにならない場合はいきおいPTAの出番となった。その一例がPTAの労力奉仕(奉仕活動)である。新設された北星中学校への姫街道側からの近道がなく、生徒の多くが遠回りしているのを見かねた同校のPTAは長さ二百メートル、幅六メートルの通学道路の整備に当たり、昭和三十六年八月二十四日に完成させた。昭和四十三年七月、丸塚中学校の校地拡張に伴い、この整備活動に同校のPTAが汗を流した。これらの労力奉仕はPTA活動の重要な柱として強制はされないものの長く続いた。これらのほか、この時期、市内の小・中学校には岩石園なるものが数多く造られたが、これらはPTAの奉仕作業によるものが多かった。昭和四十年八月、浜松市立西小学校PTAは長年の活動が評価されて文部大臣表彰に輝いた。同校のPTAは父母の連絡が密で、子供たちを立派に育てるべく父親学級を毎月一回開き、母親も読書グループをつくって互いの学習を深めていた。また、子供会の行事などにも積極的に協力していた。同校の受賞理由の一つにPTAが学校施設の充実に意欲的に取り組んだとあるが、社会活動の一環としての労力奉仕は子供たちの教育環境を整える意味において当時は重要な働きをしていたのである。この時期、各校のPTAは会員の相互学習のテーマや学校や児童・生徒の活動、会員の声などを取り上げるPTAだよりを発行することに努めていた。昭和三十年代の半ばからはこれまでのガリ版印刷からタイプ印刷となり、さらに同四十年代半ばからは活版印刷による立派なたよりが発行されるようになった。
【PTA負担】
昭和四十年代になってもPTA関係者を悩ませていたのは本来なら公的な支出で賄うべきものをPTAが肩代わりしていた問題であった。当時はプール、体育館、給食室の建設にはPTAの負担が求められていた。昭和四十二年に新聞に取り上げられたのは相生小学校の校地の借地料の一部を同校のPTAが支払っていた問題であった。『静岡新聞』同年八月十六日付によれば、同校のPTAは昭和二十七年に校地を拡張した時から借地料の一部を肩代わりしており、昭和四十二年度は約二十五万円にも及ぶという。新聞の見出しには「多過ぎるPTAの負担 校地借地料まで 望まれる市の財政援助」と出ていた。昭和四十三年十月十九日の『静岡新聞』には「名ばかりのPTA会費 約70%が学校後援費に」の見出しの下、前年度のPTAの決算のまとめから読み取れる問題点を報じた。それによると、PTAの本来の活動に使われたPTA会費は全体の三割で、残りは学校の備品購入・施設修理、施設新設費・学校行事への協力費となっているという。これに対して市当局は一部では公費負担を約束するものの、PTAによる負担はこの後も長く続くことになるのである。PTAによる支援でも学校の運営は厳しく、多くの学校では学校後援会を組織して、備品の購入や各種大会への選手の旅費などに充てていた。
【PTA連絡協議会】
各校のPTAの連合体である浜松市PTA連絡協議会は高校の増設、一学級の児童・生徒数の引き下げ、各種施設建設でのPTA負担の軽減などを毎年のように陳情していた。