【浜松市教職員組合】
昭和三十年代の日本教職員組合は日頃の教育実践を持ち寄って討論を深める教育研究集会の開催、平和と民主主義教育の推進などのほか、勤務条件の向上のための賃金の引き上げ、定員増とすし詰め教室の解消、補習教育の全廃などの運動に取り組んでいた。また、全国的な動きの中で、勤務評定反対、全国学力テスト反対のほか、政治的な運動として新安保条約反対、人事院勧告完全実施闘争なども繰り広げていた。浜松市教職員組合の勤務評定反対闘争は昭和三十三年から同三十五年頃にかけて行われた。各所での座り込み、集会、交渉などのほか、一部の組合員は勤務時間内に食い込む休暇闘争に参加した。ただ、ほかの都道府県のような大きな混乱は無かったものの、教育界に暗い影を投げ掛けた。高等学校の教職員組合は学校により対応が分かれ、授業カットが行われたところも出た。昭和四十年代になると、宿日直廃止、補習廃止、沖縄返還、賃金、公害、原発などの問題で様々な闘争が続いた。