[都市計画と寺院]

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 日本経済が右肩上がりに向かう時の経済情勢を世評では様々に言い表した。それは「もはや『戦後』ではない」と昭和三十一年の『年次経済報告』(経済白書)のなかで言明されて以後、幾多の標記が踊った。曰く、「神武景気」(昭和三十年~昭和三十二年)、「岩戸景気」(昭和三十三年~昭和三十六年)、「オリンピック景気」(昭和三十八年~昭和三十九年)、「いざなぎ(伊弉諾)景気」(昭和四十一年~昭和四十五年)等々である。これらは今日からみて、各時期の社会情勢や人心の動向を振り返る際の絶妙な目安であろう。
 浜松市の土地区画整理、都市計画の進展の現れとして、浜松旧市内の寺院や墓地の整理・移転が進められている。また、新しく道路計画を策定したことによって、新市内となった旧農村部に点在する火葬場や共同墓地の整理統合もあった。
 浜松市の拠って立つ法的根拠は、昭和二十一年九月十一日、国会での特別都市計画法の制定、さらに同年十月九日の内閣告示第三十号で、浜松市もこの特別都市計画の対象に指定されたことにある。これに基づき浜松市当局は戦災復興特別都市計画事業を策定した(『浜松市史』四 第二章第一節第一項参照)。このうちに「公園緑地計画」「墓園計画」がある。他方、昭和二十三年には墓地、埋葬等に関する法律が制定され、国民の宗教的感情、公衆衛生、公共の福祉の見地から地域住民の伝統的な心情に配慮して、その施行状況が新聞記事として報じられることになる。