[新たな火葬場と斎場会館]

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 戦災復興特別都市計画事業として策定された「公園緑地計画」と「墓園計画」が順次に遂行されていくとき、民主主義社会の風潮を示す改革案が生まれた。火葬場における死者の取り扱いを平等にするというものである。昭和三十九年三月五日付の『静岡新聞』は、四月からの浜松市の方針を報じている。
 従来の火葬料金の等級とは上等と並みに分け、市内・市外を二分し、市内の死者は十二歳以上で上等千円、並みは八百円、市外の死者は千三百円と千百円。十二歳未満で、市内の死者は八百円と六百円、市外の死者は千円と八百円。
 この等級差別を改めて平等にし、十二歳以上・未満に二分し、かつ、市内・市外とに区別する。十二歳以上で市内が千円、市外が二千円、十二歳未満で市内八百円、市外千五百円に改定。これは火葬場の維持費は市民税による運営というのが理由。なお、市外とは大部分が可美村の場合という。
 
【新火葬場】
 昭和四十六年十二月五日号の『広報はままつ』では、市民念願の新火葬場が完成した(同年十二月一日稼働)ことを報じている。従来の火葬場は戦前の大正時代の建造物であった。新火葬場は今や市内中心部に位置することになり、公害問題に配慮し、また、予想される人口増加に対応して、火葬炉を十五基に増築したという。
 
【斎場会館】
 次いで翌昭和四十七年十一月二十日号の『広報はままつ』には葬祭が執行できる斎場会館が、火葬場に隣接して完成したことを報じている(同年十二月一日開業)。

図2-27 新火葬場と斎場会館