【高度成長】
「東洋の奇跡」と呼ばれた高度成長はどのような仕組みで成り立ったのか。表2―15の成長寄与率を見ると、基本的に消費や投資といった国内需要の増大によって成長したことが分かる。特に注目すべきことは民間企業の設備投資の寄与率が高いことである。このことは『経済白書』にも「投資が投資を呼ぶ」という言葉で表現された。つまり、成長のメカニズムは、図2―29のような旺盛な設備投資を通じて高い生産性の伸びを実現するという民間企業設備投資主導型成長であったことが分かる。つまり、生産性の伸びが投資需要の拡大と結び付き、投資財や中間財を中心に生産需要を拡大させ、それが、さらに投資の拡大を生むといった好循環を成り立たせた。
しかし、このような内需中心の高度成長には大きな壁が存在した。それは「国際収支の天井」であった。表2―15からも分かるように貿易収支の赤字という制約が存在した。景気が拡大すると輸入が増え貿易収支が赤字に転落するという事態である。赤字が増えると円資金をドルに替え対外支払いが増えることになる。しかし固定相場制の下では一ドル=三百六十円を維持する義務があるため、外貨準備が減少すると金融引締政策を採らざるを得なかった。このような貿易収支の悪化を契機にした景気後退も、わが国の輸出品構成の変化の中で変わっていった。当初は綿製品や雑貨のウエイトが高かったが、次第に鉄鋼製品・船舶へ、さらに機械・電子機器などに変化していった。こうした変化は、わが国の輸出が需要の所得弾力性の強い分野へ移っていったことを意味し、その後貿易収支の黒字を恒常化させていったのである。「国際収支の天井」が無くなった日本経済は、さらに強い投資需要や消費需要に主導され高い経済成長を達成していったのである。
地方工業都市・浜松も三大産業と呼ばれた繊維、楽器、オートバイの急激な拡大とともに地域経済は高い成長を実現していった。このことは統計データにも表れており、表2―16で市内生産所得の指数変化を見ると、わずか六年間で第二次産業が生み出す付加価値額(生産所得)が二倍強になっていることが分かる。さらに、表2―17において昭和四十年の付加価値額(所得額)を見ると約九百九十六億円で、その内の五割強が第二次産業によって生み出されていた。いかに工業部門が急成長したかが分かる。
【工場進出 農地転用】
次に、この高度成長が市内の各地区にどのような変化をもたらしたかを見ることにしよう。急激な工業の発展と人口増加は各地区に様々な影響を与えた。第一に工業の拡大は、中心市街地から市街地周辺部や郊外への工場の移設・新設となって現れた。なぜなら市街地での生産活動には、公害問題、用地確保の困難、交通難などの阻害要因があったためである。第二に、市内全地区において工業が拡大したのではなく、工場の新設や移設が多い地区とあまり見られない地区に分かれた。地区別に見ると、工場進出の多い地域は積志・萩丘・白脇・長上の四地区で、昭和三十六年から同四十六年までの間に三百八十の工場が進出し、新たな工場地域を形成した。さらに、従来農業が中心で工場の立地がほとんどなかった地区においても工場の増加が目立った。その代表例が、工場団地の造成などによって工場が増加した白脇・河輪地区である。昭和三十六年から同四十四年までに百三十六工場が進出した。逆に企業進出があまり見られない地区は富塚、神久呂、入野、湖東、庄内といった地区である。次に、農地の流動状況を表2―18において見ると、浜松市における都市化・工業化は郊外への外延的拡大をもたらしたことが分かる。昭和四十年から同四十四年までの五年間で農地転用面積は約八百八十六ヘクタールに上り、一般住宅用地への転用は約三百十二ヘクタール、工業用地への転用は約百三十二ヘクタールに達した。つまり、工業と人口の急激な膨張が農地の非農用地化を進行させていったのである。特に農地転用の著しい地区は萩丘・和田・蒲地区で、次いで篠原・曳馬地区の順になっている。逆に農地転用率の低い地区は都田、吉野、湖東といった地区で農業中心の地区になっている(浜松市『西部放射道路調査報告書』昭和四十六年一月を参照)。
表2-15 国内総支出の増加に対する各需要項目の寄与率
昭和31年 ~35年 | 昭和36年 ~40年 | 昭和41年 ~45年 | 昭和46年 ~50年 | ||
国内総支出(国内総生産) | 8.9 | 9.3 | 11.4 | 4.6 | |
国内需要 | 9.2 | 9.4 | 11.6 | 4.5 | |
民間最終消費支出 | 5.8 | 5.6 | 5.8 | 3.2 | |
民間の企業設備、住宅、 在庫形成(民間設備投資) | 2.5 | 2 | 4.1 | 0.1 | |
政府最終消費支出 | 0.5 | 0.7 | 0.7 | 0.6 | |
公的固定資本形成、 在庫増加 | 0.5 | 1.1 | 1 | 0.6 | |
財貨・サービスの純輸出(外需) | -0.3 | -0.1 | -0.2 | -0.1 | |
財貨・サービスの輸出 | 0.4 | 0.6 | 0.9 | 0.6 | |
財貨・サービスの輸入 | 0.7 | 0.7 | 1.1 | 0.5 |
注:寄与率=(当年の各需要項目の値-前年の各需要項目の値)÷(当年の
全体値-前年の全体値)×100(%)
図2-29 設備投資主導型成長メカニズム
表2-16 産業別市内生産所得指数の推移
第1次産業 | 第2次産業 | 第3次産業 | 総額 | |
昭和35年 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 |
36年 | 118.3 | 116.0 | 116.1 | 116.2 |
37年 | 112.6 | 130.5 | 130.4 | 129.4 |
38年 | 136.1 | 166.8 | 143.0 | 154.2 |
39年 | 149.0 | 178.6 | 169.3 | 172.6 |
40年 | 168.6 | 203.0 | 188.7 | 194.5 |
表2-17 市内生産所得の推移
項目 | 昭和35年 | 昭和40年 | 昭和45年 | 昭和50年 | |||||
所得額 (百万円) | 構成比 (%) | 所得額 (百万円) | 構成比 (%) | 所得額 (百万円) | 構成比 (%) | 所得額 (百万円) | 構成比 (%) | ||
農業 | 2,835 | 5.5 | 4,710 | 4.7 | 8,787 | 3.1 | 13,985 | 2.5 | |
林業 | 89 | 0.2 | 26 | 0.0 | 4 | - | 3 | - | |
水産業 | 32 | 0.1 | 250 | 0.3 | 815 | 0.3 | 1,259 | 0.2 | |
第一次産業 | 2,956 | 5.8 | 4,986 | 5 | 9,606 | 3.4 | 15,248 | 2.7 | |
鉱業 | 81 | 0.2 | 144 | 0.1 | 540 | 0.2 | 444 | 0.1 | |
建設業 | 2,082 | 4.1 | 6,974 | 7 | 17,071 | 5.9 | 33,296 | 5.9 | |
製造業 | 22,782 | 44.4 | 43,533 | 43.7 | 90,714 | 31.8 | 183,421 | 32.3 | |
第二次産業 | 24,945 | 48.7 | 50,651 | 50.8 | 108,325 | 37.9 | 217,161 | 38.3 | |
卸・小売業 | 8,421 | 16.4 | 16,192 | 16.3 | 50,405 | 17.7 | 112,721 | 19.9 | |
金融・保険不動産業 | 1,916 | 3.7 | 5,494 | 5.5 | 26,425 | 9.3 | 46,666 | 8.2 | |
運輸・通信・公益事業 | 4,343 | 8.5 | 9,152 | 9.2 | 44,598 | 15.6 | 59,402 | 10.5 | |
サービス業 | 5,828 | 11.4 | 9,596 | 9.6 | 38,058 | 13.3 | 93,377 | 16.4 | |
公務 | 2,819 | 5.5 | 3,574 | 3.6 | 8,083 | 2.8 | 22,942 | 4 | |
第三次産業 | 23,327 | 45.5 | 44,009 | 44.2 | 167,568 | 58.7 | 335,108 | 59 | |
総 額 | 51,228 | 100 | 99,646 | 100 | 285,499 | 100 | 567,517 | 100 |
注:所得額の百万円以下は四捨五入した。
表2-18 浜松市における農地転用の状況
昭和40年~44年までの5年間の合計 | 44年度/40年 度増加率 | |||
区分 | 件数(件) | 面積 (アール) | 構成比 (%) | |
農業用施設 | 169 | 864 | 0.9 | 2.7 |
一般住宅 | 12,040 | 31,161 | 35.2 | 1.9 |
その他の住宅 | 1,414 | 7,613 | 8.6 | 7.8 |
工場等敷地 | 1,216 | 13,222 | 14.9 | 2.7 |
公共用施設 | 22 | 803 | 0.9 | 5.2 |
その他 | 2,852 | 34,984 | 39.5 | 3.7 |
合計 | 17,713 | 88,647 | 100 | 2.8 |