[貿易の自由化とその対策]

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 わが国は昭和二十七年にIMF(国際通貨基金)、昭和三十年にGATT(関税と貿易に関する一般協定)への加盟が許されたが、国際収支の逼迫(ひっぱく)を理由に為替・輸入制限が認められていた。しかし、日本経済の復興・成長とともに日本の為替・輸入制限政策に批判が高まり日本経済を国際市場へ開放せざるを得なくなっていった。昭和三十九年は、わが国が先進国の仲間入りを果たした年であった。前年にはGATT十一条国(国際収支を理由に貿易制限をすることを禁止)に移行、同三十九年の四月一日にはIMF八条国へ移行し、さらに同年四月二十八日にはOECD(経済協力開発機構)に加盟した。八条国への移行は経常取引において為替を管理することが出来なくなり、国内市場を外国製品に開放することを意味した。OECDへの加盟は国際的な資本移動を制限できなくなり、海外企業が日本へ進出することを意味した。つまり貿易の自由化と資本の自由化により、日本経済を国際市場へ開放することになったのである。
 
【貿易自由化】
 地域経済を支える三大産業のうち、貿易自由化の影響を強く受けたのは繊維産業であった。貿易の自由化が遠州綿織物産地を衰退させていく一因となったとも言える。昭和三十六年四月から原綿の輸入自由化が実施された。従来、原綿の輸入は、外貨の流出を制限するために、織機の台数や輸入実績に基づいて割り当てられるという原綿輸入リンク制がとられていた。そのため織物業者は織機設備に基づいて割り当てられた原綿を紡績会社へ転売することによってプレミアムを得ていた。しかし、従来のリンク制に代わって、自動承認制度が適応されると、いわゆるリンク綿が無くなり、織物業者にとっては大きな収入減につながった。また、自由化によって原綿輸入量と綿製品に対する需要の読みが非常に難しくなり、綿織物価格の乱高下の影響を受けるようになっていった。これに対し、遠州織物業界は①業界全体で生産、価格、出荷、販売等の計画化を実施する、②設備の近代化を促進する、③価格変動準備金制度を導入する、④繊維織機の耐用年数の短縮化などの対応策を打ち出した。
 
表2-20 個人所得の処分状況
項目
昭和35年
昭和45年
昭和50年
実数
(百万円)
構成比
 (%)
実数
(百万円)
構成比
 (%)
実数
(百万円)
構成比
 (%)
個人所得額
41,304
100
228,738
100
526,563
100
個人貯蓄
12,468
30.2
47,648
20.8
129,215
24.5
個人消費支出
27,045
65.5
147,962
64.7
316,737
60.1
消費支出
の内訳
飲食費
11,094
26.9
47,268
20.7
96,723
18.4
被服費
3,047
7.4
13,348
5.8
27,935
5.3
光熱費
1,265
3.1
4,548
2
11,044
2.1
住居費
2,737
6.6
29,767
13
62,937
12
雑費
8,901
21.5
51,270
22.4
112,949
21.3
出典:『浜松市統計書』各年版より作成
注:個人税や税外負担等は除外しているため個人貯蓄と個人消費支出の合計は100%にならない。