[雇用の拡大と集団就職]

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【金の卵】
 戦後、地方や農村は過剰人口を抱えていた。なぜなら、戦後緊急開拓事業によって海外からの引揚者、軍隊からの復員者、都市失業者などが食料の確保や失業対策の名目で農村部へ送り込まれたからである。しかし工業部門は昭和三十年代の中頃を転機に労働力不足に苦しむことになっていった。重化学工業を中心にした高度成長は農業から工業へ、地方から大都市圏へ大きな人口移動を引き起こしたのである。労働力不足の現象は、まず中卒者、次いで高卒者、さらに一般の労働者へ順次波及していった。当時「金の卵」と呼ばれていた中卒者は大企業、第二次産業が多くを吸収していた。表2―21で昭和四十年当時の全国の新規中卒者の就職動向を見ると、産業別では六十六・四%の中卒者が第二次産業に就職し、そのうち従業員五百人以上の大企業に就職した中卒者が最も多く三十三・九%を占めていた。これに対して従業員十四人以下の小企業に就職した者は十八・三%に過ぎなかった。
 
【労働力不足】
 地方の工業都市である浜松にとっては二重の意味で深刻な労働力不足問題を抱えることになった。労働力を確保する上で東京や大阪から離れた地方工業都市であること、地域の事業所の九割以上が中小企業であるという現実である。昭和三十四年当時、浜松公共職業安定所での中卒者への求人申込件数は織布関係の五千人、オートバイ関係の三千人、楽器関係の千人を中心に全体では一万五百人に達した(『静岡新聞』十一月二十三日付)。
 これに対して浜松職安管内の新規中卒者の就職希望者は四千人で、求人数の半分にも満たない状況であった。そのため、当地方は厳しい労働力不足に陥ったのである。そこで、中卒者を確保するため静岡県や職業安定所は中卒者の集団就職を斡旋し、九州や東北の各県、県内の細江、天竜、掛川などから集団就職による人材確保を図った。
 
表2-21 新規中卒者の産業別規模別就職割合
産業別構成比(%)
企業規模別構成比(%)
 第1次 
産業
 第2次 
産業
 第3次 
産業
 500人 
以上
 100~ 
499人
 15~ 
99人
 14人 
以下
昭和38年
9.8
63.7
26.7
27.1
30.8
22
20.1
39年
8.4
65.3
26.3
33.1
29.7
19.4
17.7
40年
7.4
66.4
26.2
33.9
29.6
18.2
18.3
出典:厚生労働省『雇用動向調査』