【東名高速道路 卸商団地】
昭和四十四年二月、東名高速道路が開通し(全面開通は五月)大量流通の時代が幕開けした。港を持たない内陸型工業都市・浜松にとって、輸送の大量化、高速化といった高速道路のメリットを活用することは緊急な課題であった。そこで、浜松市は昭和四十二年四月に流通センターの建設構想を策定し、浜松インターチェンジ周辺にトラックターミナル、倉庫団地、卸商団地などからなる流通業務センターの建設計画を打ち出した。しかし、浜松インター周辺の地主との用地買収折衝が難航したため卸商団地を先行させて建設することになり、建設用地を国道浜松バイパス沿線である田尻町から米津町にまたがる地域へ切り替え、立地することになった。卸商団地を先行させた理由は市中の交通事情が悪化し卸売機能が十分に果たせないためであった。昭和四十三年八月に結成された浜松卸商団地建設期成同盟会では①卸商業界の体質を改善し安定した経営基盤を確立する、②用地面積は十六万三千四百四十二平方メートル、③建設費は三十億三千九百万円、④業種別進出企業は繊維八十九社、金属建材九社、雑貨、食品十五社を合わせて百十三社、⑤共同施設として組合会館、共同倉庫、共同配送センターの設置などを決めた。総工費四十五億円を投じ、昭和四十六年七月当初計画よりも二年も早く完成することが出来た。団地内には八十六社(店)、倉庫、駐車場をはじめ、組合会館、公園、共同配送センター、共同倉庫などの共同施設も整備された。この卸商団地は東海地区で初めて建設され、規模の点からいっても全国で十指に入る大型団地であった。
【浜松流通業務センター】
一方、浜松流通業務センターについては、市は当初、流通業務センターの諸施設を一カ所に集中させる計画でいたが、用地の買収価格が折り合わなかったため流通機能の分散化もやむを得ないと判断した。しかし、市開発公社は流通業界の強い要請に基づいてインター周辺の白鳥町、下石田町を中心とする地に、三十二万三千六百九十平方メートルの用地を確保し、昭和四十五年六月には用地造成に入った。同年十月に浜松流通業務センター運営協議会が設立され、①運営及び流通業務に関する研究、②関連施設や共同施設の整備、③交通諸設備の整備などの事業計画を立てた。流通業務センターそのものは昭和四十九年七月に完成するが、その間様々な施設が集中的に建設され一大流通拠点になっていった。
【浜松内陸コンテナ基地 浜松総合産業展示館】
昭和四十六年六月、浜松流通業務センター内に静岡県浜松内陸コンテナ基地が開所した。これは静岡県が海運業界のコンテナ化に対応して建設したものである。基地は約三万三千平方メートルの敷地に輸出商品を荷造りするコンテナ・フレートステーションとコンテナを百五十八個置くコンテナ・ヤードが整備され、そのほか管理棟や作業員詰所棟などが建設された。このコンテナ基地の利点は①検査や通関業務のための荷役の積み下ろしに時間や人手がかからない、②輸送中のキズ、破損がなくなる、③荷役費用が削減できる、④輸出拠点である清水港とは東名を利用して約一時間二十分で結ぶことが出来るなどであった。港を持たない浜松にとってコンテナ基地は繊維、楽器、オートバイの海外輸出の拠点になり、さらなる輸出の拡大につながることが期待された。さらに、昭和四十六年十一月、市は市制施行六十周年を記念して浜松総合産業展示館を建設した。浜松流通業務センターの一角に約二万三千八百平方メートルの敷地を確保し、五千百二十二平方メートルの細長い鉄筋コンクリート二階建ての展示館を新設した。同展示館は産業都市・浜松が生み出す様々な製品の展示場として期待された。